イチゴは自分にとってアイドルだった。
大学生のとき、農学部に所属した。
イチゴは作るのが大変らしい。
イチゴは足が速いらしい。
大変なのはよく聞いていたのに、卒業論文のテーマはイチゴの研究にした。
イチゴ以外にネギやピーマンなど選択肢があった。
しかし、イチゴのかわいさからイチゴを選択した。
イチゴはアイドルだった。
その後、当たり前のようにイチゴに病気を充満させた。
灰色かび病というやつだ。
イチゴは作るのが大変なので、こうなるのは見えていたらしい。
自分の卒業は5月頃から危ぶまれた。
まだ10ヶ月以上あったのだが。
病気は仕方ない。薬をたっぷりやった。
しかし、一度病気にひどくやられたイチゴはどうしようもなく弱った。
ごめんよ、イチゴたち。
必死でお世話をした。
データをとらせてくれ。
しかしイチゴはどうしようもなく弱っていった。
卒業が遠くなった。
奨学金を借り、親から仕送りしてもらい、バイト三昧の日々。
留年するわけにはいかない。
しかし、イチゴはだめになった。
さようならイチゴ。
さようなら灰色カビ病のイチゴ。
また振り出しからスタートだ。
あきらかに歩みがのろく卒業がさらに遠のいた。
数ヶ月が過ぎた。
イチゴ農家からイチゴのデータをとりませんかと依頼が来た。
目からウロコ。
グッドタイミングすぎた。
私の首の皮はつながった。
早朝に起きて、農家にイチゴを収穫しにいった。
イチゴは明らかに他の野菜に比べてお世話が多かった。
しかし、余ったいちごを皆に配ると喜ばれた。
酸っぱくて食べれないものは加工できた。
イチゴはデータをとっていると甘い香りをくれた。
少し卒業が近づいた気がした。
卒業がよぎったのも束の間だった。
農家のイチゴに灰色かび病がでた。
カビのイチゴはすべて取り除きにいった。
農家のイチゴはなんとか復活した。
学校と農家に出没し、学生時代を過ごした。
農家の大作業を手伝った。
学生の域を超えているような作業もあった。
もう就職先はイチゴ農家しかないと思えた。
汗と涙と帽子と手袋。作業着に長靴。
苦労したつもりだった。
しかし、卒業論文はとんでもなくうすっぺらいものになった。
灰色かび病のせいだ。
その後、どういう審査だったのか、なんとか卒業できた。
イチゴを見るたびに卒業論文いや灰色かび病を思い出す。
イチゴを食べるたびに灰色かび病を思い出す。
次にイチゴにかかわるときは灰色カビ病に強いイチゴ作りだ。