社畜とは?

ツイッターをしていると社畜という言葉が飛び交っている。

会社に自分のことを捧げているひとのことを言うのか、はたまた会社の思うように使われている人のことを言うのか分からないが、自分の働き方を振り返ると、社畜のように働いていたときが、自分の成長を感じたように思う。

 

自分のペースで働いていると、自分の殻からなかなか抜けることができない。

そんなときに、大きな仕事を任せられると、大変だと感じつつも、人に助けを求めたり、自分の能力をなんとか上げようと必死になる。この必死さを社畜というなら、言葉が悪いように思う。必死さは会社と自分がともに成長し、喜んでもらえる仕事をする貴重なものだ。

 

また、社畜という言葉は家畜という言葉からきているように思うが、家畜にとって失礼である。家畜である牛や豚、鶏も人の食料として立派に育てられている、これらを仕事というかどうかは別として、これらを食べている以上、家畜を駄目なものという思いはいかがなものか。ここはどう書いたらよいかわからないが、家畜→社畜という言葉は嫌いだ。どうかなくなりますように。

 

最近はブラック企業という言葉が問題になっているが、社畜ブラック企業は別だ。ブラック企業が法律に違反しているという意味ならば、労働者や会社の人間はこれを改善しなければならない。仕事を一生懸命する以前に、環境が法律から逸脱している場合は命にも関わる重要なことなので、こちらは声を大にして変更を促すべきである。このことに関して、変更をしようと努力しない会社にいることは、自分の命を削ることだ。

 

ブラック企業に務めることを社畜というなら、早くやめるか改善するべきである。

一生懸命働くことと、法律に違反すること両方を社畜と言っている感じがしてならない。会社に一生懸命貢献し、自分の生活や人生を潤わせ、社会人をすることは決して恥ずかしいことでも、負け組でもない。

 

社畜を考えている方は、今一度考えてほしい。

一生懸命働くこと、法律に違反している会社、このどちらであるのかを。

一生懸命はすばらしいことである。

 

会社をやめて明確な目標やお金があるなら、やめることも一理あると思う。

人生は一度きりだ、やめたいときにやめることで、広がる可能性もある。

しんどくてやめたいのか、やりたいことがあってやめたいのか。

お金があってやめるのか、お金がなくてやめるのか。

いろいろ想像して人生を進めたい。

 

私も社会人の真っ最中である。

仕事をやめたいと思ったときもある。

実際、長めに休みを取って自分の気持や今後を掘り下げて考えてやめない選択をした。

自分が決めたので公後悔はない。

やめないことで、できたこともある。

 

学生時代とちがい、社会人はながい。

自分自身の意志で人生を楽しみたい。