身内が登校拒否になったときのこと。
登校拒否は突然訪れた。
気候がよく、学校生活も特に問題がなかったが、それは突然だった。
今日はお腹が痛い気がするから、休むということだった。
そして、それは毎日続いた。
私はとても驚いたが、親はじっと見守っていた。
特に原因を聞くでもなく、何もなかったように過ごしていた。
私は原因をあれこれ考えた。
いじめがあるのだろうか、それとも勉強についていけないのだろうか。
しかし、原因は不明であった。
登校拒否が始まって数日後、担任の先生と教頭先生は学校から飛んできてくださった。
まず、玄関まで連れてきてください。と言う。
しかし、もちろん出てくることもなく、親も今日は休ませますと言い張り押し問答が続いた。
先生も大変である。
子供を連れずに帰っては、上の先生から指導があるかもしれない。
ほんとうなら、別の仕事ができた時間に、進まないものと向き合っていた。
私は、その押し問答をしている横を通って学校にいった。
先生にジロリと見られたような気がした。
私は目立ちたくなかった。
問題のある家と思われたくなかった。
今思えば冷たいものである。
この問題で目立ってもいいじゃないか。
苦しんでいる人が立ち直ることが必要じゃないかと今では思えるが、子供のときはちょっとしたことが気になった。
行けない人の気持ちはわからなかった。
自分は休むなんて考えられないタイプで、しんどいと思っても何も考えずに行っていた。
身内に寄り添えない自分がいた。
親はここから数日登校を断った。
学校から毎日電話があった。
しかし、頑として断っていた。
学校は呆れているのか、諦めたようだった。
そして、親は学校に行けないなら、遊びに行こうと提案したのである。
毎日、遠くまで買い物したり遊びに行っていたようだ。
私は子供ながらに、このままで大丈夫かなと不安になった。
しかし、遊びは1週間ほど続いた。
そして、ある日、身内は今まで何事もなかったように学校へいった。
親は学校に電話をして、訪問のお礼を伝え、今後のことを話しているようだった。
しかし、その後同じようなことはおきなかった。
元気が戻ってきたのだ。
何ごともなかったように登校を始め、勉強も遅れることなく、友達とも馴染んでいた。
私は、ちっぽけな悩みも忘れ、学校へいった。
振り返れば何もできなかった自分が情けない。
その後、登校拒否のことを耳にすると、このことを思い出す。
応援できなかった自分を思い出し、元気が出ないときは無理に継続しないことが必要だと感じたこと。
そして、元気の源を探しに行って、元気を充電することが大切だと感じたことを思い出す。
少しの遊びや自由は元気を回復する力がある。
そんな手伝い、寄り添いができれば嬉しい。
小さな元気を上げれる人になりたいし、小さな元気をもらえる人になりたい。