以前に父への思いを書いた。
今日は母への思いを書こうと思う。
私の母は次女である。
兄弟は6人で女男それぞれ3人、その中で次女として育った。
母が自分の子供の頃の話をする時、次女だから大変だったとしばしば言っていた。
姉は何事も慎重にするし、親はもちろん初めてなので大切に扱う。
末っ子は甘やかされるし、上を見ているのでちゃっかりしている。
次女である母はたくさんに挟まれるて、放置気味だったと。
いつも辛そうに話していたのを覚えている。
確かに真ん中の子は放置するというよりは、子育てに慣れてしまって関わりが少なくなるイメージ。
うまく子育てできてしまうというのは、わかる気がする。
それが子供にとってどう感じるかはそれぞれだろう。
兄弟の位置については、よい悪いそれぞれの言い分があるだろう。
しかし、一つしかポジションを取れないので、なかなか別の位置の気持ちはわかりづらい。
そんな次女の位置の思いに悩んでいたから母は、次女である私を大切にケアしていた。
お古になりがちな服やランドセル。
もちろんお古で行くのだけれども、その代わりに新しいものを買ってもらう時は、他の兄弟より優先していた。
真ん中である私は放っていてもなんとかなる子だったらしいが、放置することなく世話をしてくれた。
それでも不平等がでてくるのが、世の中。
そんな時は大きなルールを決めてくれた。
習い事は運動系1つ、文化系1つをやってよい。(後に、運動文化系こだわらず2つまでOKになった。)
本は本当にほしいものしか買わない、それ以外は図書館で読む。
大学は国公立なら県外も可。私立なら家から通えるところ。
アルバイトをして社会を経験する。
このルールの元4人兄弟である私達を育ててくれた。
ルールがあるというだけで、私はなんとなく嬉しかった。
例えば男だけ大学に行かせるとか、女は◯◯など不平等なものはなかった。
男女平等、兄弟平等であった。
もちろん選択することは自分の判断でやるので、違った人生になるのは当たり前なのだが。
母の話をしていると自分の話に脱線している。
ここで話を戻すと、母は次女で辛かった。
母は自分の子供を平等に育てた。
母は本を読むのが好きである。
母は話を書くのが好きであった。
新聞の投稿欄に投稿してはよく掲載されていた。
新聞を読むのも好きであった。
小柄な体にエネルギーを秘めていた。
負けず嫌いであった。
悪口は嫌いであった。
最悪、悪口は家で言えと言っていた。
健康マニアであった。
料理は苦手と言っていたが、毎日料理を欠かしたことはなかった。
自分のできないことを子供に率先してやらしてくれた。
スキー、水泳、サーフィン、自転車、もろもろ。
私は母の足元にも及ばないけれど、少し似ている!と思う瞬間が増えている。
母への思いはなかなかまとまらない。
また改めて書こうと思う。