いちごのつぶやき

訪れていただきありがとうございます。Amazonのアソシエイトに参加しています。ご理解お願いいたします。

最近のニュースより 三つ子事件

お題「最近気になったニュース」

気になったニュースは三つ子事件。
三つ子虐待事件とも言うようだが、三つ子の真ん中の子を母が子育て中に落として殺してしまったという事件。
この判決が実刑となり、議論が巻き起こっている。
死んでしまった子は生き返らないし、殺してしまった事実も消えない。
自分が殺されていたら、自分が殺していたら。
そう考えるとなんとか再発防止する答えを見つけられるのではないか。

ただこの子育てに逃げ道はあったのか?
下手に逃げてしまえば、もっと多くの犠牲がでたのではないか?
思えば思うほど悲しい事件だと感じる。
びっくりしたのは授乳回数、1日24回。
この回数を聞いて、これは自分がやっていたら確実に自分が死んでいたのではと思った。
様々な環境の育児があるだろう、体力のある人の育児、お金が有り余る人の育児、助けを簡単に手にする事ができる育児、便利なところに住んでいる育児。
しかし、何もない育児もある。
この孤独を減らしたい。
声を上げやすい環境、ここに駆け込めばなんとかなる環境、これを増やさなければ再発しそうだ。
生まれてきた大切な大切な命を育てるには?子供は国の財産なのでは?
答えが見えない。
税金を子育てに充てる、育児相談センターを作る、大人数の子供がいるところを保育士が訪問する、預かり保育を無料にする、祖父祖母親兄弟など育児できそうな人は仕事を休める、保育士を家に派遣するなど通り一遍の考えしかでない。
苦しくなる前に殺めてしまう前に踏みとどまる何かは不明だ。
どうやって踏みとどまる?
誰が何を助けてくれる?
三人連れてどこに駆け込む?
この事件をきっかけに育児がしやすくなるように願う。
しんどい人が少しでも楽になり、無理のない社会になるようにと願う。
皆が利用しやすいシステムを作っていきたい。

自分の育てられた環境に置き換えて考えてみると以下だ。

5歳 姉
1歳 自分
0歳 弟
0歳 弟

4人兄弟、女2、男2だ。弟は双子なのだ。
三つ子とは違うが、年子で3人。
記憶に残る親がしてくれた育児を思い出してみると。

姉の保育園の送り迎えは近所の人がやってくれていて、お礼はタバコ代を渡す感じだ。
下の子がいるので、姉を連れていくには。。。行けないのだ。
保育園にいかない3人をつれて大移動あるいは姉を送っていく間に3人を誰かに見てもらう考えただけでも大変。

母は保育園に下の子3人を預ける時期は送り迎えを2往復していたことがある。
もちろん3人のれるベビーカーがあるのだが、なぜか準備が揃わないことがあった。
早く準備ができる子、できない子。
できない子に合わせると多く保育園を休ませることになる。
よって一人でも預けるために準備ができた子は先に届ける。
家に残った子は近所の人が送り迎えの時間だけ見てくれていたようだ。
準備ができれば残りの子もなんとか時間外から預かってもらう。
もう保育園は始まっているので、大きな遅刻となる。
お遊戯の練習が始まっている最中、お昼ごはんの最中に保育園に届けれられたことは何度もある。
喘息持ちもいたので、発作が出れば吸引をしてから保育園に行っていたので準備が揃わなかったのかもしれない。

育休なる言葉はなかったが弟が生まれた後1ヶ月間、父は仕事を休んだ。
しかし、給付金などもなく、お金のこともあり仕事復帰した。
小さな会社なのでそんなに休めなかったのかもしれない。
父は仕事から帰ると子供のお風呂、ご飯、寝かしつけをしていた。
寝かしつけは親の方が先に寝ていた記憶がある。
今思えば、そらそうだ。
4人のお風呂。。。のぼせすぎるだろう。ふやけすぎるだろう。

家の洗濯物がたたまれることはなかった。
姉が乾いてきた洗濯を仕分ける。
それぞれのかごに衣服を入れておくだけ。
物心ついた時はかごから自分で服をとって着る。
もちろんしわしわ。靴下は柄など揃わず。
箪笥は開けられないけれど、カゴからなら衣類が取れる。
自分でできるところは自分でということになる。
なかなか自分でできない場合もあるが。


お茶を飲む時はよくこぼしていた。
机の下には新聞紙とタオルが常備してあった。
子供がお茶をこぼしたときの対策だそうだ。
初めてお茶を自分で飲めたときの写真がアルバムにある。
顔は一切写っていない。
お椀に顔をつけるようにしてお茶を飲んでいる。
でも、これが母には嬉しかったようだ。
この話を聞いた時、育児の大変さを知った。
乳飲み子の弟二人がいるので、お茶なりジュースを自分で飲んでくれないことには埒が明かなかったと聞いた。

押し入れを開けると、布団なり、コートなり、何かが必ず落ちてきた。
そして、落ちてきたものを拾って遊び出す。
押し入れはしまうというより、とりあえず放り込む。
仕方ない。
季節のものを入れ替えてる余裕などなかったのかもしれない。
あの布団の山、楽しかった記憶がある。
背丈を超えるほど積み上げていた。

そして、最も大変なのは子供が病気になったときだ。
一人が熱をだす。
一人の親が病院に連れていき、もうひとりが残りの子どもたちを見る。ここまでは普通か。
しかし、二人が倒れた時、一人の親では連れていけない。
タクシーを呼ぶが捕まらない。
救急車が確保できればお願いする。
しかし、救急車が出払っている時や断られる時がある。
夜中であろうと、一人の親が二人をつれていく。
しかし、病気の一人が歩けないほどひどい時、タクシーを待つか、一人ずつおぶって時間外に運び込む。
この大変さを想像するだけで絶句する。

一度は寝ている子供一人を放置して、二人の親が二人の子供を病院に連れて行ったこともある。
正確には残った子供一人を姉がみていたのだが、姉とて子供だ。
残された子供はおむつが脱げてしまい、おしり丸出しで寝ていたらしい。
真夜中にうなされた子を抱えて帰ってくる親。
面倒をみるために寝れずに一桁歳の姉が下の子を見つめる図。
姉の不安さ、計り知れない。
何かあったときのことなんて運命だとしか。。。
救急車を車代わりに使うなという議論が起こる度に、この我が家の育児を思い出す。
車代わりになっていたのかもしれないと。

散髪について。
もちろん、母が父と弟をカット、姉が母と私をカットしていた。
もちろんカットに行っていたこともあるが、お金の節約なり時間の節約だ。

こう振り返ると、修羅場がたくさんある。
なんとかしのいで生きてきた感じ。
振り返ればいろいろある、お金があればよかった、車があればよかった、総合病院が近ければよかった、祖父母が生きていれば、祖父母なり親戚が助けてくれば、もっと頼れる社会システムがあればと考える。
しかし、ないものはないのだ。

この苦しさ、大変さのループがなくなるシステムが必要だろう。
もちろん世の中はかわってきている。
良い面も多々増えてきていると感じる。
この良い連鎖が多くの人に波及していくように生きたい。