死ぬかもしれない親と

数年前に父親が頸動脈瘤を患い、さらに結核にも罹患しました。

病院から動脈瘤の手術について話があるから家族で話を聞いてくださいと連絡があり病院に向かいました。

手術は傷口を大きくしない、細い管、カテーテルを通して血管を広げるものをすすめられました。

また、手術を受けることができる体力があるかどうかを確認する検査もたくさんあると説明を受けました。

手術をうけない場合は、突然血管が破れて、手遅れになり大変なことになる話も聞きました。

話を聞くだけで一刻を争う大変な状態であることが伝わってきました。

死ぬのかもしれない状態であると感じ、皆の口数が減り重たい空気が流れました。

病室に子供と母が集められて、話を聞きました。

先生は家族の方で話し合ってどのような処置をうけたいか決めてくださいと父に言われました。

そこで家族の意見が一致すればよかったのですが、意見が分かれてしまったのです。

私は手術を受けるのが最良と思ったのですが、成功する確率は100%ではありません。

それを怖いと思ったのか、手術に反対の家族がいました。

こういう意見の違いは仕方ないので、最後は父自身が決める必要があるだろうと思い病院を後にしました。


しかし、決定は一向にされずに月日が流れていきました。

心配になり父に手紙を書いてみたりしましたが、手術をするかどうかを決定しないので、手術しない状態が数カ月続きました。

そうしているうちに次は結核になったのです。

結核もまた大変な病気でこれは感染します。

遠くの病院へ隔離入院となりました。

近くにいた家族や接触していた家族は検査を受けることになりました。

父は入院中も動脈瘤は良くなることはなく、突然を恐れながら月日が流れていきました。

自分が入院していれば確実に落ち込んでいたと思う大変さなのですが、父はうまく病院で過ごしていました。

厳重な医療用マスクをして、何枚もの扉を超えて病室に入ると、少し小さくなったような気がする父が座っていました。

薬をのんでいるからすこぶる調子がいいと言っていました。

父は前向きに治療しているよと話して私を元気づけてくれました。

きれいにたたまれたパジャマがベッド脇に届けられていました。

血色もよく前向きな父を感じれたので、ひとまずはほっとしました。

暇な時は椅子に座って、のんびりラジオを聞いていると話していました。

私は父からのリクエストがあったペンとノートを届け、少し話して帰ってきました。


あの暑い夏、山際にある大きな病院、病棟が一般ではなく、少し回り込んだところにある別棟、厳重な扉、鮮明に覚えています。

父が遠くにいってしまいそうな気がして眠れない日々が続いていました。

何もできない私。

その後、心配をよそに血液の数値も徐々によくなり、検査も少なくなっていったようです。

数週間後、結核は完治し無事退院できました。

あの大変な状況を父は乗り越えて、その後、体力が回復したこともあり、頸動脈流の手術も決心をしたと姉から聞きました。

その頃、私は体力の関係から父の病院には行けずじまいでしたが、うまく手術が終わり家にいると知りました。

あの時、家族で聞いた手術の説明がうまくいったのだと安堵しました。


そして、父は元気になり、散歩にいったり買い物したりできるようになりました。

また寒い冬がやってきます。父のところに暖かい毛糸の帽子を届けにいきます。