今週のお題「大切な人へ」
バレンタインということで今週のお題が大切な人。
今年のバレンタインは特に何もしなかった。
平常運転で過ぎ去っていきました。
そう、バレンタインは大切な人のことを思う日ですね。
私の大切な人、それは父です。
もちろん大切な人は他にもたくさんいますが。
父との記憶。
私が4歳くらいだろうか。
黒の小さなカバンにお弁当、メガネ、マスクを入れて毎日、毎日仕事へ。
土曜日も夜まで仕事。
休みは日曜日のみ。
休みの日曜日はしんどくて、遅くまで寝ていることが多かった。
父が元気な日曜日、よく美術館に連れて行ってくれた。
描くことが好きで無口な父。
今思えば、豊かな日曜日である。
今思えば、子供4人をつれて美術館なんて、死ぬほど大変だったはず。
無口な父は文句をほとんど言わない。
そして、人の否定もしなかった。
そんな不平や不満、やりきれない思いは全て絵に描いていたのかもしれないと思う。
子供の頃は、父が描いた絵で家がどんどんせまくなっていくことが嫌だった。
なんと心の狭い子。
でも、今思えばそれも豊かな生き方だったと思う。
油絵に日本画、陶芸に、ペン画など。
自由にスケッチ帳をめくっては遊んでいた記憶がある。
私の進路や生き方も否定したことはなかった。
たくさん言いたいことはあったと思う。
無口ではあったが、無関心ではなかった。
そんな父に気づかずに、何もしてくれない人と思っていた私。
情けない。
でも、今ははっきり分かる。
私の思いを、私のことをずっと、応援し背中を押してくれていた。
ありがとうを伝えたい。
そんな父が倒れた。
様々な手術を乗りこえ元気になるものの、みるみる弱っていった。
会うたびに、小さくなっていく父。
そして、会う度に、私のありがとうの気持ちは大きくなっていく。
息苦しい中、人工呼吸器をつけながら、私に声をかけてくれた言葉。
父の最後の言葉は
「ありがとう」だった。
それを聞いて何も返せなかった。
胸がいっぱいになって。
そっと手を握って。
こちらこそ「ありがとう」
これからも、何度でも送るよ。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
もう、頑張ってとは言えない状態だった。
帰りの道で久々に泣いた。
もう駄目かもしれないと思った。
自分の家に戻って3時間後、父の呼吸が止まった。
そして、後から知ったことだが、父は私と私の家族の健康を願っていた。
何よりも体を大事に健康で生きろと。
ありがとう。
父はバレンタインとはこういうことだと教えてくれたようだった。
大切な人に「ありがとう」を送る日、バレンタインデー。
父よ、ありがとう。
いつも、いつまでも ありがとうを贈り続けます。