教育番組を見ていた時のこと。
私は一言、何気なく言ってしまった。
このコーナー嫌い。難しいから嫌いと。
数日後。
なんと、よく分かっていない子供がそのコーナーが始まる度に、「これキライ!」と言い放つようになったのだ。
それも、毎回言うようになった。
自分自身がキライならいいけれど、私の嫌いが伝染したのかもしれない。
これを毎日聞く度に、ネガティブな発言には気をつけようと思った。
もちろん好き嫌いはあって当然だが、自分の発言で本来なら好きになったかもしれないものが嫌いになるのは悲しい。
好き嫌いは、自分の感性で。
今後、発言を気をつけます。
別件でもうひとつ。
同僚とけんかになりかけた時のこと。
職場で同僚数人と展示会のディスプレイをすることになった。
もちろん事前にある程度どのように展示するか決めているのだが、どうしても現場での打ち合わせがいる。
「どうしようか?」
これを言った瞬間に一人の同僚が不機嫌になった。
数人でやっていたので、気にせず続行。
しかし、「こうしてみようか?」、「どうしようか?」と疑問を投げかける度に無視を食らう。
無視が続くので仕事にならない。
仕方ないでは済まないから、ある程度自分の意思で展示を進めていく。
というより勝手に展示を終了まで持ち込んだ。
これなら自分一人でやる方がよっぽどマシだったとか考えながらも、無視の意味を考えた。
なぜ不機嫌になる?
聞いたりもしたが、答えが返ってこない。
その展示を上司に確認してもらい、あれこれ訂正などの指示を私は受けた。
もちろん、自分主導でやっていたので、率先して訂正した。
しかし、同僚の動きは直すことを手伝う人に徹している。
なぜ?
この展示は同僚数人が並列で責任を持ってやるものだが。
なぜ?がおさまらない。
何度か上司に訂正後を確認してもらい、予定よりも大幅に遅れて完了した。
私の中で、なんとなく気づいた。
自分の意思で展示を決定すれば、決定した人の責任になる。
もちろん、大事になれば会社全体の問題になるだろう。
しかし、小さなミスや間違いについては誰がこれやった?
◎◎です。
◎◎さん、今後きをつけて。となるだろう。
よって、意見を言わなかった同僚=「どうする?」と聞かれるのが嫌な同僚は小さな責任逃れをしたいのだ。
わかってしまった。
責任をとるのが嫌な人なのだ。
その後、同じような仕事をするたびに「どうする?」は禁句となった。
決定はこちらで。
たとえ不格好でも、間違っていても仕方なし。
複数でやる意味がない。
ただの手伝う人、ロボットなのだ。(ロボットに失礼だが。)
こんな生き方もあるのだろう。
その後も「どうする?」を使う時はためらっていた。
しかし、そんな同僚ばかりでもない。
もちろん同等に話せる人もいる。
リーダー的存在もいる。
だから、普段通り「どうする?」は使えている。
たまに思い出すのだ。
何気ない一言で人との関係が壊れてしまう。
何気ない一言でその人との距離ができてしまう。
何気ない一言で人を勇気づけられるものでありたい。
言葉は時に人の人生を飛躍させる。
本日は愚痴がぼろぼろと出てしまうブログとなりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。