2月の雨は冷たい。
もう少しで春がそこまで来ているのに、遠い。暖かい春が遠い。
そんな時に容赦なく降る雨。冷たくて、寂しくなる。
傘が人の顔をすっぽり覆う。
そんな人々が行き交う町。
知り合いが出くわした傘の怖い話。
その日も雨だった。それも、朝から雨。
冷たい冬の雨の日だった。
長い信号待ちをする知り合い。
なかなか変わらない信号。
寒くて傘の中で小さくうつむき信号が変わるのを待つ。
やっと信号が青に変わる。
パラパラと人々が渡り始める。
向かいで信号待ちをしていた中年男性がこちらに近づいてきた。
なぜか、こちらの真正面に向かってやってくる。
もちろん、少し道を譲るようによける。
しかし、傘で顔が見えない向こうから来る男性は同じ方向へ動く。
えっ?
道を譲ろうとしているのに、なぜかぶせてくる?
でも、これはよくあること。
もう一度相手を伺いながら避ける。
しかし、どうも向こうの動きと重なる。
傘を少し持ち上げて、相手の様子を伺おうとする。
すると向こうから来る相手も傘を少しあげて、一声。
まさかの一言だった。
傘を交換してください。
怖い一言。
こんな丁寧な言い方ではなかったかもしれない。
知り合いは、思わず相手の傘を見上げた。
だいぶ古い品だ。
横断歩道を渡る途中の出来事。
早く渡ってしまわなければ。
しかし、怖い、怖すぎる。
逃げれるのか、どうなのか。
頭が真っ白になり、とっさに「どうぞ。」とつぶやいていた。
相手はさっと傘をとると、自分の傘を強引に渡して、雨の闇夜に消えていった。
振り返ることもできず、家路を急いだ。
怖い。怖すぎる。
泥棒なのか?酔っ払いなのか?
今は早く帰ることが第一優先だ。
心臓をばくばくさせながら、小走りで帰った。
家に着くと、急になくなった傘のことを考え出した。
あれはもらいものだ。
100円の傘などない時代。
傘は傘の修理屋さんで何度も修繕して使う。
あの傘は骨がしっかりしていて、芯がしっかりしているスグレモノだった。
素敵な傘だった。
でも命より大切なものはない。
そして、もう一つの傘。
家に泣く泣く持ってきてしまった相手の傘のことも考えた。
これをどうする?
これを。。。あの信号のところまで明日にでも返そうか。
でも、晴れた日に信号機の下に傘。
誰かがその傘につまづくかもしれない。
そんな傘は危ないし、迷惑だ。
でも、どう考えても知らない人の傘を使う気にはならない。
そして、そっと捨てることにした。
どこの誰かもわからない人の傘を使えない。
もう古いし、警察に言うのも億劫だ。
だから、捨てたのだ。
そして、交換してしまったあの素敵な傘には及ばないが、気に入ったものを買った。
あの怖かった日の記憶は月日の流れとともに、少しずつ小さくなっていく。
でも、雨の日の信号待ちをすると甦る。
怖かった気持ち。
あの傘は大事にされたのだろうか。
この話をしてくれた知り合いに感謝している。
大事なものは人それぞれ。
それが失われた時、人は傷つく。
しんどい気持ちを抑えながら、教えてくれてありがとう。
きっと、とんでもなく怖かったに違いない。
なぐさめることなどできなかった。
でも、命があって、怪我がなくてよかった。
また、新しい傘とすてきな思い出を作ってほしい。
ありがとう。
気づけばもう3月だ。