神に誓ってないという言葉

神に誓ってないという言葉を子供の頃によく使っていた。これらは大概嘘だった。「神に誓ってない」はずの事は、次の日にあっさりと覆り実行されたと知る。子供のころはそれでいいのだろう。人は小さな嘘をつきながら、大きな嘘をつかなくなるのだという。今回は「神に誓ってない」という言葉を大人になって聞いたのだ。それも大切な大切な採用試験の後、なんだか違和感を持ったスタッフにボスから放たれた。あの言葉は本当だったのだろうか。子供の頃と同じで、やはり嘘を隠すために使われたような気がしてならない。もう思い出せないくらい褪せてきている記憶だからブログに書こう「神に誓ってない」は本当なのか嘘なのか知りたい。

 

その言葉は、とある会社の入社試験の後に放たれた。中途採用試験は内部のスタッフも新卒も受けることができる不思議な試験だった。内部スタッフは一年雇用をなんとか終身雇用にしたくて、試験に望んだ者も。不景気の時代、正社員という狭き門をくぐるために大量の人が試験を受けた。

 

会社側には採用したい人、採用したくない人があるのだろう。今回の試験は珍しく年齢制限が広く取られていた。いつもは新卒〜30歳以下くらいだったように思うが、その時は36歳のように中途半端に年齢制限が設けられていた。これが後に不信につながっていくのだが。年齢制限が広げられたことで、たくさんの内部スタッフが試験を受けられる状態となった。

 

試験の後、一次試験を受験した人が分かった。なんと、一度退社したボスのお気に入りだったスタッフが試験を受けていたのだ。いや、別にいいのだ。条件に当てはまる人なら、正々堂々と試験を受けることができる。だから、ここまではよかった。しかし、試験内容は一度退社したそのスタッフの得意分野に偏っていた。仕事を回していかないと駄目だから、その内容を問うのたか、それとも、この分野の得意な人=一度退社したお気に入りのスタッフを採用したいのかどうなのか。なぜか深読みをしてしまう。

 

試験をするからには正々堂々と行われるべきだろう。会社都合があるのは分かる。でも、採用する人が決まっているなら、特別枠で採用するべきだろう。わざわざ内部のものに期待を持たせ、試験を受けさせて落とすなど論外である。特別枠なら、副社長なり、外部取締役なり採用の仕方があるだろう。皆が疑問を持ち始めた。これは出来レースではないのか?年齢制限の不自然、試験内容の不自然。受験した内部スタッフは採用したい人が決まっている試験だと気づいてしまった。

 

そして、疑問を膨らませた内部スタッフの一人がボスに訪ねたのだ。私は自分の雇用条件を良くしたくて、必死で採用試験を受けたと。試験に備えて勉強し、話すことを考えて試験に望んだのだが、この試験は採用したい人ありきなのかどうなのかと。

 

するとボスから返ってきた言葉が「神に誓ってない」と。ボスは公正にジャッジしたというのだ。さらに問い詰めようと質問すると、涙を流したのだ。不自然についての返答はなかったが、不正は神に誓ってない。不採用者は引き下がるしかない。いや、今なら情報開示などあれこれできたのかもしれない。でも、一年で吹き飛ぶような弱い立場の社員だ。あれこれ言ってもめるのはどうかと思い引き下がった。

 

「神に誓ってない」はやはり信じられなかった。

  採用された人が得意な試験内容。

不思議な年齢制限。

 一度やめた社員が戻ってくる不思議。

 とかどうでもいい。

会社にとって、あの採用がベストなら仕方ない。

もう諦めて、コツコツ働こう。

でも、会社への思いが変わった。

ここで、全力投球できるはずがない。

そんな変な空気が流れ始めた。

 

そんなことも忙しい中、消えそうになった。

でも、心の傷は恐ろしい。

ふと思い出す。

あの言葉。

社会ではいろいろあるだろう。

男女差別に年齢差別。国籍差別に人種差別。あげだしたらキリがない。

だから、不自然な採用もあるだろう。

でも、自分の目の前で起こり感じた怖さ。

 

あの時、採用されたスタッフは一年働いて、やめていった。

だから、神に誓って正々堂々と本当の採用試験がもう一度必要だろう。

 

そこからが会社とスタッフとの本当のスタートである。