子供の頃、夏の大イベントは名古屋と愛媛の田舎に帰ることだった。
6人家族で大移動する。これを隔年で帰る。
今年の夏は父の実家。
来年の夏は母の実家と順番に帰省する。
田舎に行くと自然がいっぱいでご飯はもりもり振る舞ってくれる。
夏休みの宿題のことも忘れて1週間から10日間ほどは疲れ果てるまで遊ぶ。
ザリガニを獲ったり、カブトムシを探したり。
遊園地に連れて行ってもらったり、楽しいことのてんこ盛り。
しかし、母の実家に帰ると母と祖母の折り合いが悪いのを感じる。
話が弾んでいないし、どちらも遠慮している模様。
母方の祖父、すなわち母の父は早くに亡くなっているから間に入ってくれるのは母の兄弟。
しかし、母の兄弟の多くは愛媛にいるので、団結力が強い。
母はやはり外の人の感じなのだ。
いや、それ以前の問題で、兄弟間にも性格の不一致はあるのだと今ならわかる。
そんなことを感じていても、子供のころは田舎が楽しくて楽しくて無駄に走り回って、家の下にある水車を見に行き、その後、長い長い坂を登って家に戻ったりを繰り返していた。
そして、牛のえさやりを延々と眺めていたり、異空間、非日常は何年経っても記憶から消えない。
私の祖母 花子さんとの思い出はほとんどない。
アルバムを見ると確かに祖母、母、私と写っているから、あの日の田舎に帰省した時に会っている。
でも、いとこや叔母、叔父のことは覚えているのに、母方の祖母のことが思い出せない。
やさしかったのだろうか?
母との関係は本当のところどうだったのだろう。
母から聞く祖母のイメージが強すぎて、自分の想像した祖母しか思いだせないのだ。
あんなに隔年で会っていたはずなのに花子おばあちゃん???
私を覚えていますか?
この感覚は私だけなのだろうか。それとも私の兄弟たちも何か感じている?
話のついでに、姉にこの話をしてみた。
花子おばあちゃんとの記憶ってどう?
姉「私は数回会ってるから、いろいろ思い出あるよ!」と言う。
姉「あなたは花子おばあちゃんと5歳の時に1度しか会ってないから思い出が少ないのは仕方ないよ。」と返ってきた。
あら?
私の記憶では隔年で祖母、花子さんにに会っていたけど、違うの?
あの橋がなくて飛行機でいったときのこと。飛行機の模型をもらったり、JALのハンカチをもらった思い出。
そして、橋ができれば電車を乗り継ぎ、必死に橋を渡った記憶、確かに1回ではなかった。
あの思い出はたった1回の出来事でしたか。
確かに家族写真は1年分しかない。
私の記憶はどこで、どう捻れたのだろう。
深呼吸して考えてみる。
私は母の実家にも、父の実家と同様、隔年で帰りたかったのではないだろうか。
母と祖母が仲良くして欲しかったのではないだろうか。
そして、自分が祖母と仲良くなりたかったのかもしれない。
今ならそういう答えが導ける。
すなわち、毎年会いに行ける関係を望んで記憶は希望に繋がり変更された。
勝手に記憶をかえてしまったのだろう。
今思い出しても母の実家の鮮明な記憶があるのだ。
牛が至るところにいて、坂の上に家がある。
牛のお世話は叔父。
坂の登り口には水車があって、昔は粉を挽いていたとか。
家までの坂の途中に畑があって野菜や花を栽培している。
畑から野菜を採ってきてくれるのは叔母。
そして、家の周りには大きな漬物樽。
この樽の中にある漬物を冬に、少しずついただくために、夏や秋に採れた野菜を漬物につけておく。
漬物の石が重くて重くて、また、外にある漬物だから冷たくて、取り出すのが大変。
家の中には土間があって、かなり高いところに居間がある。
だから、通気性があって快適な家と自慢するのは母。
家の周りには花やサボテンが並んでいる。これを集めているのは祖母。
花が好きな祖母だから、名前が花子。
こんなに鮮明な記憶は会いに行ったからできたものプラス母からの話で出来上がっているのだろう。
イメージを膨らませすぎたのかもしれない。
子供のころは母と祖母は不思議な親子関係だと思っていた。
でも、今なら複雑な親子関係もあるだろうと思う。
親子の数だけ、親子関係の種類、パターンがある。
できれば良好な関係がいいと思うが、それは私の理想。
母と祖母のことになるとイメージを膨らませては、どうにもならない現実がある。
きっとこれが答えだと思っている。
理想と現実は違って当たり前。
もう祖母は他界していない。
母も祖母のことを話さなくなった。
だから、この記憶は私だけのものとなりつつある。
これからさらに記憶が変化していくのだろうか。
あの田舎の匂い、風景はまだ私の中に鮮明にとどまっている。