死にたいほど辛いときは誰にも相談できないのかもしれない。
相談しても解決なんてしないのかもしれない。
相談すれば何かが悪化するのかもしれない。
死にたくなっているのは相談した結果かもしれない。
死にたいのは、よくよく考えた後、やっぱり死にたいなのかもしれない。
きっとひとつひとつ理由は違う。
もしかすると、死にたいは答えなんてないのかもしれない。ふっと死にたくなるのかもしれない。
でも、私は死なないでと叫びたい。
どんな理由があろうと死なないでと叫びたい。
あなたはどこかで誰かとつながっている。せっかく生まれてきた命、大切に、大切に全うしてほしい。
あなたの代わりはどこにもいない。あなたが生まれてきた理由は必ずある。
身近な人が大切な人を失った。それに私は耐えられなかった。
私の身近な人は、大切な人を失いました。
死を選んでしまったのです。
ご飯を買いに行き、一度家に戻り、そのご飯を食べる前にふっと出かけて行って帰らなかったのです。
当たり前の毎日はもう二度と来ない。一緒に笑える日々も二度と来ない。
気になるすべてのことを投げ出して、選んでしまう死。
よく考えたのか、それとも。。。答えのないまま今があります。
それを知ったとき、視野がせまくなり、呼吸がうまくできず、歩けませんでした。
何日も何日もふさぎ込んで、やっと立ち上がったとき、私はまだ立てるのだと、まだ、生きているのだと感じました。
でも、それより何より、側でもっと泣いている大切な人がいました。
悲しみがあふれていました。
どんな慰めの言葉もかけられない、どんなことをしてもこの悲しさは消せないと思いました。
ずっと、ずっと、ずっと、側にいるだけ。
自分の力のなさをこんなにも感じたことはありません。
何度も何度も自問自答したのですが、答えなんて出てこない。
本人にしか、わからないこと、本人にもわからないこと、あったのでしょう。
だから今は理由を考えていません。理由がわかったところで、もう元には戻らない。
仕事に行かねばならない日々が始まった。
家を出ても鍵穴が見えないし、定まらない。目が霞んでいるのか、手が震えているのか。
数段の階段がうまく降りられない。
どんなに前を向こうとしても、現実だけが前にやってきて、気持ちを塞いでいく。
残された人はずっと苦しいまま。なんとかできなかったのか自問自答する日々。
死ななければ、償うこともできたでしょう。
死ななければ、幸せを感じたかもしれません。
死ななければ誰かの役にたてたかもしれない。
でも、これは生きている人側からの思い。
ここまで書いて思うのは、死にたい人に寄り添えていない自分がいる。
わからない自分がいる。
死にたくならない社会を!死にたいを吹き飛ばす人生を!
死にたい人と死なせたくない人との対峙。
生きていることに、ありがとうと思える日々に感謝して。
そんな気持ちが小さな何かに消されては生まれて、そして、また、消されてゆく。