バイトの話。
働いて10年以上ですが、今でもバイトをしていた頃を思い出す。
なぜだろう。
働いてからの記憶と昔の記憶の鮮明さが違う気がする。
断然、バイトをしていた頃の気持ちが鮮明だ。
そう、学生の頃、学費や生活費を捻出するためにバイトを繰り返していた。
日本料理屋、レストラン、予備校、家庭教師、教材販売のセールス、議会の受付、お中元の包装などなど
いい経験がたくさんできたし、辛いときは先輩方々に救っていただいた。
その中で、本日は教材販売のセールスについて。
これは、中学生や高校生のおられる家に電話をして、教材を買ってもらうというもの。
この教材いりませんか?をとてつもなく忙しい夕方5時から夜の9時ころまで電話する。
そして、いるって人がでればバイト代アップ。
もちろん電話するだけで、売れなくてもバイト代はいただけるが、そこに勤めているほとんどの人はうまく売っている。
そして、バイト代のアップに成功している。
そんなバイトを気軽な気持ちで友達と申し込んだ。
しかし、世間はそんなにあまくない。
すっごい剣幕で電話を切る人。
そらそうだ、忙しいし疲れている時間帯ってことで、納得させる。
そんな剣幕をリセットして次の電話をかける。
ひたすらかける。
10人にひとりくらいほしいってなるが、ほしいとは言わない。
考えておくってことになる。
そして50人にひとりくらいの割合でほしいと言ってくれる。
これで成功となる。
その50人にひとりは、買ってくれるもののとにかく話が長い。
ってこちらから教材いりますかって聞いてるので、その返答を聞くのはあたりまえなのかもしれないが。
なんとも長い。
教材がいるという答えににたどり着くには、まず、子供が勉強しない、遊び呆けているから始まって永遠と続く。
言うことを聞かない。
子供が嘘をつく。
悪い友達と遊んでいる。
成績が落ちている。
学校にいかない。
部屋にこもっている。
ってな話を永遠に聞いて、その後、やはり勉強してほしいので買ってみるということになる。
親の悩みは尽きないよう。
そして、勉強はできないより、できる方がいい。
このバイト、自分が元気な時は楽しい。
話も聞けて、たまに教材も買ってくれる。
そしてノルマもない。
学生のバイトなのでというと語弊があるかもだが、特に売上の競争もなく、すごい社員さんのそばで話術を学べたりもする。
しかし、気持ちが疲れていると、うまく話が続かず、、、教材買うの見合わせますとなる。
そして、電話では全然関係のないことを平気で言って来られる方がいる。
特に気にしなくてもいいのだが、こちらも何故かひかかってしまったりする。
私は関西出身。だから関西弁。
このバイトをやっていたのは九州。
九州の方は関西とはイントネーションが異なる。
これはいいと思うが、なぜか関西人からはものを買いませんという方がおられたりする。
関西人からはものを買いません????
とはどういうこと???なんか関西はお嫌いなのか???
なんて答えたらよかったのだろう。
あぁ、そうですか、では失礼しますでもいいのか、なぜですか?となるのか。
まぁ、買う買わないは人それぞれ。
関西弁が不快かどうかも人それぞれですねと今は思える。
別の時には、あなたどこの方?
と聞いてこられたので、関西ですというと平気で変な話し方だと思ったと言われたことも。
ひどい方は、何を言っているのかわからないのでと言って電話を切った方も。
九州からすると関西は変なのかもしれない。
そう、違いは時に人を苦しめる。
もちろん関西のことを懐かしく話してくださった方、訪れたことあります、出身は関西ですと普通に話せた方もいる。
九州では圧倒的に関西人が少ないってのは自分の感想。
そして、九州でもいろいろ方言があると思うが、九州内どうしなら似ている部分が多いのかもしれない。
でも、関西弁とは大きく異なるのだろうと感じた。
関西人からしたら九州の言葉がわからないこともあったが、聞いて聞いて聞いて覚えて覚えて覚えて楽しんでいたけど。
そんなことで、電話はかけまくるものの教材は売れず、ただ電話をかける人になっていた。
ある日、これって働いてる意味ある?
ここは教材を売りたい会社、だから教材の売上が少ないとダメなのではと気づく。
ということで、バイトをやめることにした。
今までで最短のバイト生活だった。
あの教材を売るためのバイトをしたことで、方言がまだまだ地域に根付いていることを感じた。
また、違いに人々は敏感であると感じた。
もちろん方言がそれぞれの文化にもつながると思う。
だから、話し方の違いは大切だと思うが、あの頃は方言なんているのだろうかと思った。
今では違いもあっていいと思うし、違いを楽しみ、違いを大切にしたいと思う。
もうだいぶ訪れていないけど、方言はどうなっているのだろうか。
圧倒的多数と少数と。
この人数差がある時、多数にいると少数の気持ちがわからない。
そして、多数が圧力をかける側になることもある。
気をつけようと思う。
人は多数にも少数にも入ることがある。
どちらもあっていいと考えられるかどうか。