寄付のお願い アゲイン

この記事は数年前に書いたものを加筆・修正したものです。

 

もう20年以上前の学生時代のことである。
とある宗教の方が私のアパートに来られた。
そして、海外の子供に渡すので寄付をお願いしますとのことだった。
金額は500円。
海外の貧しい暮らしが掲載されたパンフレットを持っている。

私は迷った。

 

500円。

今からバイトに言って自分の学費と生活費を貰わなければならない。
そして、仕送りをしてもらっている母に少しでも仕送りを減らしてもらうよう工夫している最中だった。


海外の子供はきっと自分より壮絶に大変な生活をしてるに違いない。
しかし、私は親に助けてもらいながら学生をしている身分だった。

とっさに出た言葉が以下。

「すみません、また社会人になれば払えるようになるかもしれませんが、今は寄付できません。」
と断った。


しかし、なかなか帰ってもらえなかった。
「あなたのタバコを一箱節約すれば、いいだけではありませんか?」
と宗教の方。
私はタバコを吸ってなかったし、外食を減らして節約している身分だった。
「バイトがありますので、すみません。」


最後には
「たったの500円ですよ。」
とのことだった。

たったのという言葉に絶句してしまった。

私は今からたったの500円のためにバイトに行き

そして、一生懸命働き

自分の学費とするのです

その500円は自分のために使いたいのです

とはその時出てきませんでした。

 

「親に仕送りをしてもらっているので、今は自分で寄付できる状態ではありません。」
などなどお断りを続けた。

 

すると渋々帰っていかれた。

 

たまたまタイミングが悪かっただけかもしれない。
しかし、私に寄付ということを深く考えさせる出来事となった。

500円にもいろいろある。

節約すれば浮いてくる500円。

親からの500円。

今晩1食の代金になる500円。

バイト代1時間の500円。

500円で救える命。

私は寄付ができなかった。

 

この話を近くに住んでいる友達に話すと、同じ方が来たとのこと。

それも、家に入ってきて、なぜ寄付しないのか説教されたと。

寄付はなかなか集まらなかったのだろう。

ノルマがあったのかもしれない・

でも、寄付は自分からするものだと思った。

同じ500円でも人によって価値は違う。

寄付をする先も考える必要がある。

困っている人はたくさんいる。

そして自分の財布の事情もある。

 

寄付という言葉を聞くと、あのお願いに来た方を思い出す。

そして、彼自信はどれくらい寄付をしていたのだろう。

そんなことは知る由もないが

今はどんな活動をしているのだろうとたまに思い出す。

 

寄付とは奥が深そうだ。

寄付はお金だけではない

気持ちや労力など

人助けは様々

今はそう思って生きている

いつか答えがみつかるだろうか