いちごのつぶやき

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母への思い2

母への思いを書こうとすると必ず自分につながる。

母は田舎で生まれた。

四国の愛媛県だ。

母の家は坂の上にあった。

坂の途中と家の側で牛を飼っていた。

田舎に帰ったとき、牛の匂いがしたのを覚えている。

家の側には畑もあった。

家は大きな家で、大きな漬物の樽があった。

家の下には財宝が眠っていると言っていた。


母は父母について、私にとっては祖父祖母のことをよく話してくれた。

祖父は母が20歳のときに他界した。

その祖父のことをとても尊敬していたようであった。

祖父は田舎を便利に活性化する仕事をしていたとよく聞いた。

とても聡明であったとも聞いた。

母が琴の師範をとり、人に教えることができる状態になったとき、ほっとしたように他界したらい。

きっと母思いの祖父だったのだろうと思う。


また、祖母については真逆であった。

母と性格が似つかず、うまく意思疎通ができていないようであった。

なかなかうまく書けないが、どちらかというと母は祖母のことを反面教師にしていたと想像できる。


母は子供の頃、家のことをよく手伝っていた。

お使いをしたり、漬物をつけたり、田植えをしたという話は耳にタコができるほど聞いた。

よって野良仕事は今でも嫌いであると言っている。

きっとやりすぎたのだろうと思う。

大型の休みがくるとかならず家族総出で畑や田んぼの作業をするので休みは嫌であったと。

しかし、今では家で花や野菜を育てて愛でている。

きっと昔の収穫して食べる、たくさん咲いた花を飾る、おすそ分けするという気持ちは変わらないのだろう。


母は姉や妹がいたが一人で遊ぶことが多かった。

きっと姉と妹が一緒に遊んでいて、あるいは世話をしていて、母は一歩離れていたのではないかと想像できる。

母は想像遊びが好きで、人形や架空の話を作っては遊んでいた。

話を書いたり、本を読むのが好きなのはそこが原点であろう。


母はおとなしい性格にみえてまったく違った。

ぺらぺら話さないが、ここぞという時に、するどい意見を的確に言った。

また、将来を考えて自分を磨いていた。

二十歳で琴の師範をとったことも、その現れだと思う。

私が小さいときに、琴や三味線を大事に大事に保管し、弾いていたのを覚えている。


私を含む子供には贅沢はさせないが、勉学は惜しみなくさせた。

やりたいといったことは否定しなかった。

お金もそこに重点をおいて使うと宣言していた。

決して裕福とは言えなかったけれど、使ったお金の額を後々計算してみると莫大にかかっている。

目が飛び出るような支出である。

子育てとは恐ろしいことだ。

衣服や食事は質素に、そして勉強や手に職がつくようなことにお金を投入すると断言していた。

しかし、子供はその思いに反して、旅行がしたい、服が欲しい、あれがほしい、これがほしいと暴走していたが。


母は人に流されるのが嫌いであったが、今の最先端を走っていた。

まだコンピューターが浸透していない頃、コンピューターの本を読んでみたり、時代の先を読んでいたように思う。

便利になればなるほど生きづらくなるかもしれないと言っていた。

実際、母の子供の頃より便利にはなっているが、今が生きやすいかどうかで見ると生きづらくなっているように感じる。

生きづらさにもいろいろあるが、便利がすべていいという訳でもない。


そんな母への思いは私の中にしっかり生きている。

生きているとふとした場面で母の言葉を思い出す。

その一つが「努力をしなければ人は駄目になる」という言葉だ。

できるといわれる人は勝手にできるようになっているわけではないと。

よく考えると分かるのだが、自分だけは特別だと思いたい、思いがちである。

そうなりかけたとき、その言葉を思い出すようにしている。

何歳になっても、死ぬまでゴールは来ない。


そしてもう一つ

「人と比べる前に過去の自分と比べろ」ということ。

人は近くの人と比べたがる。

そして、自分の方が優れていると思いたい。

しかし、過去の自分を超えなければならい、この過去の自分は永遠に存在する。

ずっと前向きに生きる。

立ち止まりはしても、前を向かなければならない。

これらの言葉は高校の時、就職の時、仕事をしている時に何度も何度も思い出した。

きっと今後も思い出すだろう。


私は母のいろいろな思いでできてきている。

そう言うと、こんな子になるはずじゃなかったと言われそうだが、母の影響がとても強い。

これからも母のことを思い出そう。

メニューが思い浮かばない

食事のメニューが思い浮かばない。

焼き茄子

野菜炒め

焼きうどん

お刺身

唐揚げ

パスタ

サラダうどん

冷奴

エビチリ

餃子

シュウマイ

あれこれ作ったり買ったりするけれど行き詰まる。

毎日になると思い浮かばない。

クックパッドで何度も作る。

買った材料に合わせて作る。

作りたいものに合わせて材料を買う。

あれこれ頑張るけれど、何が食べたいのだろう。

何も作りたくない。

メニューが思い浮かばない。

そんな時は寿司にする。

ちらし寿司

鯖寿司

巻きずし

握り寿司

押し寿司

それからそれから。

おつまみは買う

あるいはキュウリでサッサッと作る。

しかし、メニューに乏しい。

本日はあるもので在庫を減らしてみよう。

連休最終日となると皆だらけてるので休みたいが。。。

もうひとりの僕(童話2)

ぼくはひどい ぜんそくだ。

いつも大切なときに発作になる。

だから、大好きな友だちと公園であそぶときや遠足のときに発作がでてしまう。

そして、いけなくなる。

とっても悲しい。

外は晴れていて、公園から楽しそうな声がきこえる。

窓の下にイスをおいて、のぞいてみる。

みんな走り回っている。

なわとびなんかもしている。

ぼくも思いっきり外であそんでみたい。

いけなかった遠足にもいってみたい。

そう思いながら寝る日々がつづいた。


ある日、お母さんが誕生日プレゼントに絵をくれた。

ぼくがあんまり外に出てあそべないから、外の景色が描かれた絵にしてくれた。

その絵は、ジャングルの中に入り込んだように暑い国の植物がたくさんあった。

そして、ド派手な鳥。

こんなところが本当にあるのだろうか。

窓のよこにその絵をかざってもらった。

そして、その日は眠りについた。


ジャングルの中にぼくがいる。

あそべなかった大好きな友だちと大きなぼうしをかぶって たんけんしている。

体にまきついてきそうな植物。

変な匂いのする花。

植物から雨が流れ落ちてくる。

湿度100%かな。

暑くて汗をかくけれど、ぜんそくはでてこない。

夢の中にいるような気分だ。

ド派手な鳥を追いかけたりしている。

もう少しで、その鳥にさわれるってところで目がさめた。

ほんとうに夢だった。

でもとてもたのしい夢だった。



今日は学校を休んだ。

運動会の総練習の日、ぜんそくがでてしまった。

家でふとんに寝ながらうとうとした。

母さんにもらった絵をぼんやりながめながらねむりについた。

ここはどこだろう。

すごい遊具がある。

まるで宇宙のよう。

家の前の公園を何倍も大きくしたような大きさで、大好きな友だちと思いっきり遊んでいる。

どでかいすべり台をなんどもすべった。

ブランコもやったし、タイヤの遊具でもあそんだ。

いつもは思いっきり走れないのに、今日は走っているみたい。

でも、ぜんそくはでてこない。

じゅうりょく体験できるシーソーに乗ってあははと笑っていると、ふっと体が軽くなった。

その瞬間に目がさめた。


夕方になっていた。

そうだ今日は学校を休んで寝ていたのだった。

大好きな友だちが宿題を届けてくれていた。

明日はなんとか学校へいこう。

それにしても不思議なたいけんをした。

誕生日にもらった絵を見ながら眠ると、楽しい世界にいけるみたい。

今日の夜は早めに寝よう。

お昼寝したから、眠れないかもしれないけれど。

心配をよそに、夜は夜でねむくなってきた。

うとうと。

宿題はやったし、明日はゆっくり学校へいこう。

そんなことを考えながら眠っていった。



今日の世界はどこだろう。

大きなキノコがある。

キノコの下をくぐり抜けながら、歩んでいくと

ふかふかの苔の町になった。

ぼくの体よりでかいカタツムリが横切っていく。

もしかして、ぼくの体はちいさくなってる?

あわてて、上を見上げるとキノコで空がみえない。

どうやらぼくの体は小さくなってキノコの世界にきているようだ。

ふかふかの苔はほどよく水をふくんでいて最高だった。

小さなキノコをもって帰って母さんにみせてあげようっとキノコに手をのばしたところで目がさめた。


次の日は学校へいった。

いつもは勉強についていくのに必死なぼく。

その日は元気だった。

体育もこなせた。

家に帰ったらゆっくり休もう。

そう考えながら6時間みっちり学校で過ごした。


家に帰ると母さんは仕事にいっていて、いなかった。

静まり返る部屋。

リビングに2枚の絵があった。

1枚は宇宙のような公園の絵。

2枚めはキノコの写真のような絵だった。

どこかでみたような。。。

なんだか昨日見た夢にそっくりだった。


母さんが帰ってきた。

ぼくへのプレゼントを買っていておそくなったらしい。

そのプレゼントは絵の具セットとキャンバスだった。

これに絵をかいて部屋にかざりたいってことらしい。

ぼくは休みの日に好きな絵をかいた。

花をかいてみたり、ピエロをかいてみたり。

想像してかくのはすごく楽しかった。

1枚の絵ができあがった。

大きな階段がいくつもある家にすむピエロの絵にした。

ピエロは花が好きで、家のかべには花の絵をかいた。

そして、いろいろなところに本当の花もある絵にした。

あとは絵の具が乾くのを待って、母さんにプレゼントした。

母さんはとてもよろこんで、玄関にその絵をかざってくれた。

その日の夜は学校で疲れていたのか、すぐに眠れた。


らせん階段のような、とぐろをまいた階段のある家。

あちこちにお花がある家にピエロが住んでいる。

ピエロの帽子の上には花。

この家に招待されたぼくは、特殊なくつをはいて、かろやかに階段を登っている。

ピエロのお家はとっても楽しくて、おいしいお菓子ももらったりした。

夕方には、また来るねと言って、かろやかに階段をおりていく。

そんなところで目が覚めた。

玄関に飛んでいってぼくの絵を眺めた。

さっきの夢はどうもこの絵の中の世界だ。

ぼくは絵の中に入る夢をみるらしい。

また、絵をかこうとおもった。

次はどこへ行きたいのだろう。

見たこともない世界をかきたい。

株の勉強中

株を始めて半年が過ぎた。
FXは3年程だろうか。
まだ不明なことが多いけども、挑戦中である。

ツイッターでリアルタイムの意見や株価の値動きを見る。
ヤフーのファイナンスでもチェックする。
購入した本で基本を抑える、振り返る。

株を始めるにあたってやったことはまず楽天銀行の口座を開設した。
次に、楽天証券にも申し込み。
どちらも開設されれば、みずほ銀行から楽天口座にネット上で振込。
楽天銀行に入金されていれば、楽天証券と連結しているのでそのまま証券の方で株が購入できる。
その後、ispeedという無料のアプリをスマホにインストールして取引を行う。

とりあえずはお気に入りに知りたい銘柄を入れていつでも市況状況やチャート、ニュース、四季報、適時開示をみれるようにしている。
お気に入りに入れている数は50社くらいだろうか。
毎日毎日気になる銘柄は変わるので、ずっとお気に入りに登録しているものもあるが、消しているものもある。

気づいたことはこの銘柄探しが難しい。
当たり前だが出来高時価総額、業績と確認することが置く、結局どれがいいかわからないところに行き着くことが多い。
ネットには相反する意見が溢れているのが、たくさん読んで信用できそうなものを見つけている。
しかし、最終の売買は自己責任。

高い位置で買ってしまったと思えば損切りしたり、ナンピンしたりしている。
おかげさまで今のところなんとか損益をプラスに保てているが、決して安全に楽にできているわけでもない。
ヒヤッとする場面も何度か経験した。
あの時買っていれば資金を倍にできたこともあった。
あの時買っていれば資金を半減させていたかもしれない。
結果を見てからならなんとでも言えるが、利益確定してはじめて自分のもの。
この確定のタイミングが重要だと思う。

祝日や土日は休みなので、持ち越すと不安が膨らむ。
しかし、持ち越さなければ増えないものもある。
日々すごい人の動きを感じながら自分なりに挑戦している。
そして感じたことは自分の資金の管理をしっかりすること。
余力はどのくらい残すのか。
もっと下がれば買えるお金を残しているだけで気持ちが落ち着く。

人が買いまくっていても自分を見つめる。
いいと思って買わないと出口がみえない。
出口を決めておくのも負けすぎない手だと思う。
ほとんどの株が上下に動く。
ずっと下がっているように見える銘柄もたまに上にいったりする。
不穏な動きの銘柄もある。

考えるだけで不勉強な自分が見えてくる。
まずは資金管理をしながら、学んで行きたいと思う。

追記:楽天証券以外にもSBI証券も申し込んだ。
こちらは夜間取引もできるし、アプリもまた違って勉強になる。

一期一会

一期一会だけども、もう一度会いたい花々

 

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カタセツム。このピンクの花、フリンジのリップ。

なかなか会えない花。

なかなか咲かない。

 

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ボーモンティア。

ツボミの色からの花はこの色。

葉は花を隠すほどに大きい。

やわらかい白色が忘れられない。

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花の名前不明。

しかし、このつる植物なんだろう。

花はアイラトビカズラに似ているけれども、見たのは温室内。

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ツンベルギア。

花が顔に見える。

花が口に見える。

花が虫に見える。

花が鳥に見える。

この鮮やかな黄色。

 

花に出会うのも一期一会。

次会えるだろうと思っていても、なかなか会えないのが現実である。

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キヤニモモ。

確かに黄色いヤニがでている。

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この多肉植物の花が気に入って買ったけども、枯らしてしまった。

また、育てたい。

出会いを大切に生きる。

イチゴとの出会い

イチゴは子供の頃あまり食べた記憶がない。

高級な果物だったからかもしれない。

果物はリンゴやバナナが多かった。

しかし、赤くて甘いイチゴが好きだった。

その季節にしかおいしいイチゴは食べることができなかったように思う。

お弁当にイチゴが入っていると、非常にやる気が出てたのを思い出す。


学生時代にイチゴを農家の方に分けてもらったこともある。

ある日、栽培ハウスの近くを通るとたわわにみのるイチゴがあった。

ハウスの奥の奥までイチゴはずっとなり続けている。

きっと明日収穫されるだろうイチゴもたくさんあった。

このイチゴ食べてみたいと思った。

待つこと数十分。

農家の方が来られたので、声をかけて分けていただいた。

格別に美味しいイチゴだった。

そのぐらいイチゴが好きだった。


イチゴに興味を持ったのは小学生の低学年のときだ。

イチゴの種がホームセンターで売られていた。

イチゴを育てる概念がなかった。

朝顔やひまわりは育てたことがあったけども、イチゴである。

種を買ってもらい、挑戦した。

朝顔やひまわりと比べ物ならないほど小さな種。

鼻息で飛ばしそうになりながら、手をぷるぷるふるわせながら種をまいた。

そして、種袋を熟読した。

このイチゴは四季成りイチゴで実は小さめ。

一年に何度か収穫できるとある。

毎日欠かさず水やりをして、発芽するのを待った。

しかし、待てど待てど芽は出てこなかった。

1週間、2週間と芽はでないまま過ぎていった。

ついに土の表面に苔がうっすらはえてきた。

駄目なような気がした。

数10粒あった種はひとつも発芽しなかった。

水が多すぎたのか、種が死んでいたのか、それとも気温が悪かったのか不明である。

芽が出なかった記憶だけが残った。

上記がイチゴとの出会いである。

その後、実験でイチゴを選んだことで、少しだけイチゴに詳しくなった。

しかし、以下の通り決してイチゴ栽培がうまいわけではない。

itigo77.hatenablog.com

今は苗から四季なりイチゴを育てている。

想像したようにモリモリは収穫できていないが、花を楽しみながら、たまにイチゴをもぎ取りながら楽しんでいる。

この夏もイチゴが無事越えてくれるように育てていきたい。

これからもステキなイチゴと出会いますように。

蓮の季節

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気づけば夏、そして蓮の季節です。

早朝に美しい花、ハス。

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このやさしい白色の蓮。

泥の中から、目をひくような花を咲かせる蓮。

 

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蓮と一言でいっても、いろいろある。

この咲き方はすこし、スリムに。

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こちらは蓮ではないけれど、オニバス

葉っぱの棘がすごい。

ハスという言葉はいろいろなところに使われている。

睡蓮。

ハス口。

 

久しぶりに象鼻杯でお酒なりお茶のみたいなぁ。

朝に飲む蓮の葉茶。

 

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もう花は終わりかなぁ。

儚い。

 

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紫陽花と花ハス

咲き始めから、咲き終わりまで。

 

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会話するような蓮。

蓮の葉もダイナミック。

 

 

今年も蓮に会いに行こう。

 

母への思い

以前に父への思いを書いた。

今日は母への思いを書こうと思う。

私の母は次女である。

兄弟は6人で女男それぞれ3人、その中で次女として育った。

母が自分の子供の頃の話をする時、次女だから大変だったとしばしば言っていた。

姉は何事も慎重にするし、親はもちろん初めてなので大切に扱う。

末っ子は甘やかされるし、上を見ているのでちゃっかりしている。

次女である母はたくさんに挟まれるて、放置気味だったと。

いつも辛そうに話していたのを覚えている。

確かに真ん中の子は放置するというよりは、子育てに慣れてしまって関わりが少なくなるイメージ。

うまく子育てできてしまうというのは、わかる気がする。

それが子供にとってどう感じるかはそれぞれだろう。



兄弟の位置については、よい悪いそれぞれの言い分があるだろう。

しかし、一つしかポジションを取れないので、なかなか別の位置の気持ちはわかりづらい。

そんな次女の位置の思いに悩んでいたから母は、次女である私を大切にケアしていた。

お古になりがちな服やランドセル。

もちろんお古で行くのだけれども、その代わりに新しいものを買ってもらう時は、他の兄弟より優先していた。

真ん中である私は放っていてもなんとかなる子だったらしいが、放置することなく世話をしてくれた。

それでも不平等がでてくるのが、世の中。

そんな時は大きなルールを決めてくれた。



習い事は運動系1つ、文化系1つをやってよい。(後に、運動文化系こだわらず2つまでOKになった。)

本は本当にほしいものしか買わない、それ以外は図書館で読む。

大学は国公立なら県外も可。私立なら家から通えるところ。

アルバイトをして社会を経験する。

このルールの元4人兄弟である私達を育ててくれた。

ルールがあるというだけで、私はなんとなく嬉しかった。

例えば男だけ大学に行かせるとか、女は◯◯など不平等なものはなかった。

男女平等、兄弟平等であった。

もちろん選択することは自分の判断でやるので、違った人生になるのは当たり前なのだが。


母の話をしていると自分の話に脱線している。

ここで話を戻すと、母は次女で辛かった。

母は自分の子供を平等に育てた。

母は本を読むのが好きである。

母は話を書くのが好きであった。

新聞の投稿欄に投稿してはよく掲載されていた。

新聞を読むのも好きであった。

小柄な体にエネルギーを秘めていた。

負けず嫌いであった。

悪口は嫌いであった。

最悪、悪口は家で言えと言っていた。

健康マニアであった。

料理は苦手と言っていたが、毎日料理を欠かしたことはなかった。

自分のできないことを子供に率先してやらしてくれた。
 スキー、水泳、サーフィン、自転車、もろもろ。


私は母の足元にも及ばないけれど、少し似ている!と思う瞬間が増えている。

母への思いはなかなかまとまらない。

また改めて書こうと思う。