年賀状の話です。
今年の年賀状は相手さんから頂いてから出すという感じで、なんともだらけた感じになってしまいました。
子供の頃は12月中頃から父が木版画をして年賀状を作っていました。
よって、干支の絵を下書きし、木に写した絵を彫刻刀で彫る。
急ぐ時は文字を彫る。時間がある時は文字を残して回りを彫る形式。
あの版画の出来上がっていく時間は好きでした。
バレンを使って年賀状の裏面をこする。
緊張しながら剥がして、黒一色の干支が浮かび上がる。
時間をかけた年賀状は出す方でも愛着がわきます。
毎年バレンでこすりつつ、出来上がった年賀状を並べて乾燥させるのが子供達の役目でした。
年賀状は親が作った版画のものを使ってもいいし、そうでなくてもいい。
私は5枚〜10枚程を全力で手書きしたところで疲れてダウンして、親の年賀状をもらって作成していた記憶があります。
父親が年賀状を作るときに出る木版画の板、これが毎年1枚ずつ追加されていく。
これを捨てるのが惜しいと家で保存していました。
たまりゆく木版画の板。
ある時、数枚が鍋敷きに使われるように。
彫った量が少ない板で、安定して鍋を置けるものは12年以上、なんと干支が一巡しても使っていて驚いたことも。
12年前の干支。
その絵はやはり古臭く、黒ずんでいたように覚えています。
ついに何年前かわからないものもでてきました。
年に一度の挨拶でも、毎年作る版画板はたまっていき、ついに行き場を失うことに。
もう使い切れない程鍋敷きになり去っていった年賀状の版画板。
少しの間飾るものの、干支が終わると片付けられる。
ついに部屋の隅っこに積まれるだけになった。
そして一年が過ぎ、再び12月。
年末の忙しい時期に、去年はこんなだったと、使った後の木版画の板を出してきて眺める時間。
この時間は好きで、かるたのようにあれこれ並べて遊んでいました。
ついに、出す枚数が少なくなり、版画は終了。
その後、実家の年賀状は手書きのイラストになり、今に至っています。
子供の頃はお正月が暇だったのか、人様からいただいた年賀状も穴が開くほど見ていました。
一筆あるもの。
笑いを取るもの。
目標を書いているもの。
手書きの絵。
家族の写真。
旅行の写真。
郵便局の年賀状じゃないもの。
年賀状ひとつにも性格や思いが詰まっていておもしろい。
毎年たまっていく年賀状を整理する時、思いが詰まっているものが保存されていたように思う。
年賀状をやめる動きもいい。
もちろん年賀状を続けるのもいい。
一年に一度、年賀状でしかやりとりをしない人もいる。
来年の話をすると鬼に笑われるかもしれないが、来年こそは早めに年賀状を準備しようと思う。
版画に挑戦してみようか。