いちごのつぶやき

訪れていただきありがとうございます。Amazonのアソシエイトに参加しています。ご理解お願いいたします。

今年も折り返し。

今週のお題「2019年上半期」

もう折り返しとは早いものだ。

毎年言っているようにも思うが、時の流れは早い。

今年のことと思っていたことが、去年の出来事であることが多い。

もう時の流れについていけてない自分がいる。

今一度立ち止まって自分を見つめたい。

 

今年は元号が代わり、また時を刻んでいく節目の年だ。

世の中は景気や国際関係で揺れている。

消費増税に米中の関係がニュースに上がらない日はない。

 大きなニュースや流れは非常に大事だろう。

 

しかしだ、自分の問題はそんなに大きくない。

毎日少しの楽しさを探し、美味しいものを食べる。

健康を見つめながら、日々のやらなければならないことをこなしていく。

大きな流れはもちろん、自分の小さな流れがスムーズにいくことが必要だろう。

 

  • 今年の目標は仕事復帰、株の勉強、旅行、英会話の勉強、整理整頓、健康増進、趣味増進、家族関連強化、ブログ。

 

仕事復帰は保育園に落ちたので待っている。

今も家の仕事をしているという考え方にしている。

家事も立派な仕事。それが自分で証明できた。

よって仕事は継続しているけれど、給料をもらえる仕事はしていない。

お金が発生してもいいと思うほど大変な家事ではある。

メリットはお金の減り方を実感した。

仕事をしているとそれさえも振り返らず自転車操業していたように思う。

入ってくるより出ていくほうが早い。

これが感じられたのは嬉しい。

 

株の勉強は日々やっている。

家にいることが多いので今が勝負だと思っても地合いが悪い。

チャートを眺める日が多い。

大きな流れはそこまで来ているような気がする。

挑戦するところに道がある。

 

旅行は今年1度行こうと思う。

家事などが落ち着いてきたと思うのだ。

これ以上頑張ると日々が息抜きになってしまう。

メリハリのために、皆とたっぷり楽しむ旅をしてリフレッシュしたい。

 

英会話。

これはするする詐欺になっている。

習わなくなると急に継続が切れた。

意志の弱さに怖くなる。

ちょっとずつを積み重ねるを胸に刻んで、やるやる詐欺から脱出予定。

過去のノートを整理してみよう。

 

整理整頓。

これも仕事を休んで捗っている。

一番は買いすぎない、ロスを減らす。

買いすぎるとロスが出る。

自分の使える範囲で買う。

自分が着れる範囲で買う。

使っていないものはリサイクルか処分をして収納からあふれさせない。

これをするだけで快適である。

書いている今も整理したくなるほど、勢いがある。

この勢いに乗っていこう。

 

健康増進。

血圧を測る、休憩をする、無理をしない、ストレッチをする、血行促進を心がける、検診は嫌がらず、心もストレスなくを実践している。

今頃になって親の健康に対する姿勢を尊敬し直す。

 

趣味増進。山にも行きたいし、ボルダリングにも行きたい。

なかなか動けない。時間を作りたいが時間ができると家事に消えていく。

趣味と言うほどでなくても楽しく過ごせる時間を増やそうと思う。

 

最後はブログ。

これは正真正銘今年からスタートした。

私にとっては楽しい時間。

ちょっとしたことを書き留めて暮らす。

疲れたときはクロームブックを開き、だらだらとブログを増産する。

今はこの心地よい時間を楽しんでいる。

世の中にはすごい人がたくさんいる、そのすごい人に少しでも近づくように日々努力したい。

 

断片的記憶

ふと思い出すことがある。
そのふと思い出す内容がなんとも不思議である。
もちろん何かと関連付けて思い出すのは理解できるが、何も関連しないまま思い出す時がある。
この記憶は脳にどのようにしまわれていて、どのように引き出されるのだろうか。
断片的な記憶。

ある日、カニの服を思い出した。
断片的に急に思い出す。
そのカニの服は弟のものだ。
まだ保育園にもいっていない弟が着ている。
色は赤と黄色の2着。
今でこそキャミソールという言葉があるが、その頃はなかった。
キャミソール型をしたカニの服。
その頃の言葉で言えば、ランニングシャツの肩のところが細い紐になっている服。
カニが全面に大きくプリントされており、クリクリの目が印象的。
急にこの服が脳裏に浮かんだ。

その記憶から、弟の小さい頃、親の若い頃、姉のサラサラな髪も思い出す。
そして、数えるほどしか行けなかった祖母宅の記憶が引き出される。
大きかった祖母宅。
長い長い坂を登ると、牛がたくさんいて、小さな畑がある。
そこに古くて、深い色の家。

その頃の自分の顔は思い出せない。
写真で昔を想像することはできる。
一つの記憶から、芋づる式に記憶がつながっていく。
普段は思い出せないような道。
母が着ていたワンピース。
自分が気に入っていた、お嬢様が履くような靴。
懐かしい記憶が次々と。

この断片的な記憶がでてくると嬉しくなる。
きっと脳の奥深くに刻まれており、たまに極たまに顔を出してくれる。
その記憶は確実に自分が経験したことだろう。
もう思い出したくても思い出せないほど古い記憶。
大切に大切にしまっておこう。

これも私を作る一部。
私が生きてきた一部だ。

話は夢の話になるが、もう見なくなった夢がある。
その夢は空を飛ぶ夢だ。
雲のような白いものに乗り、空を飛んでいる。
そして、落ちそうになって目がさめてしまう。
もう一度、寝てしまうと、もうその夢は消えている。
あれも不思議な経験だった。

自分でコントロールできない夢。
もうみることがなくなった落ちる夢。
経験をしていなくても思い出すことができる。
自分の想像の世界なのだろうか。
脳は不思議がつまっている。

あの時の看護師さん、助産婦さんへ

子供を二人出産した。

そのどちらも妊娠高血圧症候群に悩まされ、入院した。

頭は痛いし、安静を強いられる。

出産への不安も大きかった。

その時に支えられたのが、看護師、助産師の皆さんであった。

毎朝血圧を測っていただき、薬を運んでくださった。

きつい薬なのか常備せずに、必ず測定してから数値を確かめ薬を持ってきてくれた。

しっかり飲むのを見届けてから次の仕事に取り掛かるという流れであった。

大病院であったので、いろいろな妊婦が入院していた。

前置胎盤胎盤剥離、高血圧症候群、三つ子出産、その他もあったように思う。

一人一人にあった処置をしていく。

大変な仕事だと思った。

私の場合は血圧が安定するように点滴を行った。

点滴に常時つながれていることから、お風呂が大変であった。

お風呂のたびに、点滴を針を残して外し、水に触れないようにビニールをかける。

そして風呂から上がると点滴につなぐということを看護師さんがやってくれた。

針の交換や点滴液の交換、追加も頻繁にみてくださった。

私の場合は1ヶ月の入院であったが4ヶ月以上入院している方もおられた。

また、お風呂やシャワーができない場合は体を拭いてくれた。

これも看護師さん。

服を整え、タオルを整え、体を石鹸でぬ拭い、ぬるま湯で流し、きれいにしてくれた。

あの入院の日々は人の仕事を24時間見ることができる日々だった。

 

おなかが張っていないか、お腹の赤ちゃんの心臓の音を毎日2回検査するのも看護師さんであった。

お腹に帯を2重にまいて、10分程機械で心音を聞いていたように思う。

また、妊婦のお腹が張っているかどうかを測っており、きつく張る時は飛んできて様子を見てくれた。

あの検査をするたびに、頑張るしかないと思った。

この入院生活はいつまで続くかわからないけれど、毎日をなんとか安全に過ごし、出産までたどり着かねばと思った。

看護師さんもそう言ってくださり、妊婦の入院は素敵な入院ですよと声をかけてくれた。

年をとって入院するとたくさんの病気を抱えており、なかなか退院できない。

笑うことも減ってくると。

しかし、妊婦は出産して退院を目指せるし、なんとめでたいことでしょうと。

長く病院にいるとそう感じるのだろうか。

確かに嬉しい病院生活は少ない。

出産は愛でたくて嬉しいことだと心に刻まれていった。

自分で一人で生むのではない、たくさんの人に支えらえていた。

 

普段は穏やかで、落ち着いて仕事をこなされている看護師さんが目の色を替えて作業に移られたのが、出産間近になったときであった。

泣き叫んだり、大声がでたり、あばれたりと大変な中、そんなつらさを解決し医者につないでくださった、看護師さん。

もちろん体や赤ちゃんの状態を確認しつつ、うまく出産できるように段取りを組む。

その動きを見ていると、普段の看護師さんの動きではなかった。

冷静で、肝が座っていた。

きっと自分より若い看護師さんもたくさんおられたように思うが、脱帽であった。

この仕事はすごい。

ひとの命を預かっている。

それもうまくいくばかりでもない。

瞬時に判断しなければならない。

 

すごいと感じたのがもう一つある。

夜勤だ。

毎日毎日、病院でいると夜中も目がさめた。

そこでも看護師さんはおられた。

緊急にそなえモニターを見つつ検診も行う。

夜中の看護師さんは人数が少なくなるため、一人でさらにたくさんのことをこなされていたように思う。

連休であろうが、日曜日であろうが、生まれて来る時には対応をされていた。

もちろん休まれているのだろうが、すごいシフトだろうことは想像できた。

体力と気力がいる仕事だろう。

 

出産後も印象に残っている。

体力が落ち、子供の世話があり、へとへとになる。

血圧もそう簡単に下がらなかった。

そこで看護師さんがかなり世話をしてくれた。

子供の世話から、産後の検診、食事のこと、薬のこと、お風呂のこと、退院のこと。

 思い出すだけでたくさんのことを助けていただいた。

 

24時間で感じた看護師さん、助産師さんはすごいということ。

嫌な顔をせず、たいへんな仕事をこなしていく。

薬の間違いや人の間違いも許されない。

仕事といえども大変だ。

それをきれいに、やさしく、冷静にこなしていく。

あの仕事はすごい。

 

仕事復帰した時に見習おうと思った。

全然職種は違うが、あの姿勢は入院したから感じることができた。

出産したことも嬉しかったが、看護師さんの仕事を垣間見れたこともすごく嬉しかったのである。

 

ありがとう看護師さん。助産師さん。

整理してすっきりしたい

整理してスッキリ暮らそうと思った。

先日、保育園に落選した記事を書いたが、整理は普段できていなかったことのひとつ。

家で過ごす時間も多くなっているので、整理して快適に豊かに暮らそうと思ったのだ。

まずはネット調べてよく出てくるのは断捨離なり、コンマリ流片付け。

私の場合はまず使うか使わないかでスタート。

クローゼット、収納コンテナの衣服を掘り出す。

出るわ出るわ。

まずの問題は収納スペースに詰め込みすぎている。

だから出せないものが出てくる。

出しにくいから使わない。

いつも同じもの、取り出しやすいものを利用する。

サイクルが短いので、足りてない気がする。

安いものを追加購入する。

スペースが増えたわけではないので、買ったものが収納されるところがない。

ちょっとしたところに積んでいく。

倒れる。

片付けがいやになる。

こんな悪循環からまずは抜け出すために、収納スペースにゆったり収めるところから。

捨てたもの。

ゆるゆるでゴムがきかない靴下。

よれて使用できなくなった下着。

コーティングの禿げたベルト。

数年間着ていなかったシャツ10枚

数年間着ていなかったヒートテック

数年間着ていなかったセーター数枚。

ボロボロになった家着。

衣類はこんな感じ。

家着を捨てたので、外出用のカジュアルを一部家用に登用。

次は書類の整理。

本棚の上に積んでいる必要な本を本棚に収めるべく、雑誌の処分。

本類は重いので、全て棚から出さずに、ざっくりと表紙を見ながら要不要を判断。

空いたとことに必要な本をとりあえず収納。

収納スペースに本が入りきったところで、軽くジャンル分けしながら整理。

これでだいぶスッキリ。

本、書類の処分はダンボール2箱分。

ついで小物類。

こちらは「使う」ものばかりではないので、流行りにあやかり「ときめく・ときめかない」でやってみる。

どれも思い出があったり、いただいていたり。

ときめくのかなぁ。

そんな感じで少しだけ処分。

あまり進まなかったので、空き箱類を処分。

収納ケースへの収納の仕方を変更して終了。

ざっと2日間でゴミがわんさとでた。

なんといっても動かしていないもの、使っていないものを触るとでてくるホコリ。

こんなに部屋の見えないところにいたのかゴミたちよ。

これから定期的に使う、使わないを見直しながら、収納スペースにゆったりとを目標にやっていこうと思う。

保育園落選

保育園の入所申し込みをした。
まず申込書を市役所にいただきに行くついでに申し込みの流れを聞いた。
市役所に訪れたのは5月だったので、4月の一斉申込みで定員いっぱいになり、ゼロ歳児は空きがないとのこと。
そして、落選した場合、6ヶ月間は申し込みなしで継続して、選考を行うことなどを教えていただいた。
7月末に出産しているので、8月1日から保育をお願いしたい旨伝えた。
すると提出必要書類の説明があり、申込み締め切りの説明があり、これでよしと納得して家に帰った。

家に戻ると、まずは職場に在職証明書を依頼した。
そしてすべての書類を揃えるのに10日前後かかったがなんとかできた。
その間に元号が代わりいろいろと大変なこともあったが提出書類はそろったのでよしとする。

再度市役所に申し込みに上がった。
すると書類が足りないと言う。
何の書類かというと、選考に受かった場合、育児休業を短縮して職場に復帰させるという雇用主の名前が入った証明書類だ。
それは申込時に聞いてなかった。。。
7月生まれで8月復帰なら上記の証明がいらないので、ちょうどいいとのことであった。
担当者が間違っていた???
新しくもらった書類を職場に届け、事情を説明し書類を揃えた。

3度めの市役所へ。
今度はうまくいくだろうと再度申込みを依頼した。
するとなぜ8月復帰を希望ですか?といわれる。
7月に出産しているので、7月に保育園を申し込みしていないと落選した場合に給付金がゼロになりますと。
ここで????が連発した。
書類を取りにあがったときに8月申込みを伝えたのですが。
7月出産ももちろん伝えた。
必要書類の説明も聞いた。

しかしだ。

書類は一枚足りなかった。
そして一ヶ月申込みが遅いだけで給料の何割か給付されるものがゼロになるなんて聞いてなかった。
もちろん私の無知だろう。
しかしだ、なんのための対面でのやりとりかわからない。
聞いてなかった。
それなら7月申込みに早めますと伝えた。
ですよね、とのこと。
落選の可能性もあるので、そちらがいいですとのこと。。。

この辺りで数ヶ月かけてきた時間が蘇ってきた。
時間を返してくれ。。。
市役所に子連れで来訪し、説明を聞き、書類のことも聞いたはず。
しかし給付のことは一切話にしなかった。
なんだか腑に落ちなかった。
申し込みのしおりにもそんな説明はなかった。。。
悲しくなった。
その説明が聞きたかったし、周知するのが必要では?
結局、職場に二転三転したこと、復帰の早まる可能性があることを伝えて、給付金のことも伝えて申込みは終了となった。


その数週間後、落選の通知がきた。
保育園に落選したのだ。
申込みの時点で疲れていたので、なんの悲しみもなかった。
こんなもんなんだろうと。
子供があふれているのだから仕方ない。
入れるまで待つしかない。
子供があふれている???
子供が不足しているのでは???
保育園足りない?場所がない?
人手が足りない???
大都会でもないけど。。。
今年がたまたまあふれただけかな。

いろんな思いが募るけど、給付金が切れないように滑り込みで申し込み手続きできたので良しとしよう。
今後申し込みされる方、気をつけてください。
産んだ月に入所申し込みをして、その落選書類がないと給付は切れるようです。
1歳未満に復帰しないと給付は切れるのですね。
全国共通でしょうね。
まだどうなるかわからないけど、給付がもらえることを願う。
子育てにはお金がかかる。
気力も体力もいる。
少しでも子供をつれて、うろうろ疲れることが減りますように。
世の中の復帰したい親がスムーズにいくように願うばかりだ。

私の場合はたまたま出産より一年後に復帰しようと思ったので、このことに出くわしたが時期がずれていたらわからずじまいであった。
すごく社会勉強になった。
今後、子育てがし易い環境が整いますように。
復帰したいときに復帰ができますように。
復帰といっても慎重に復帰時期を考えている。
自分の体力、職場への影響。しかし、そんなこと世の中には関係ない。
このまま落選続きになるか、その後、急遽保育園に入れるようになり、仕事復帰するのか不明だが待ってみよう。

まずは仕事のことを忘れて今を楽しもうと思う。
落ちたからできること。
子供とがっつり触れ合おう。
子供と一緒に笑おう。
子供の成長を楽しもう。
しっかり料理をして時間を豊かに使おう。
そして、子育て休みの日を設けて自分をケアしよう。

落選が必ずしも悪くはないはずだ。
保育園のキャパシティもあるし、人気の違いによる偏りもあるだろう。
仕方ない。仕方ない。

子供としっかり向き合って育てていこう。
親が家にいるって、素敵なことだろう。
自分の仕事へのモチベーションは下がってしまったが、人生にはそんな時もあるだろう。

好きなように生きればいい

実家を出るときに言われた言葉

好きなように生きればいい。

行き詰まっていた私には救いの言葉だったと同時に身の引き締まる思いがした言葉だ。

好きなように生きるためにはたくさん責任が伴う。

でも、この言葉を胸に刻みながら挑戦したいと思う。

好きなように生きないと後悔しそうだ。

そして、好きなように生きている。

ふと、このままでいいのか不安になるが、それが自由に生きるということだろう。

好きなようにさせてくれてありがとう。

たくさんの光を吸収して、日陰に癒やされながらゆっくりと。

f:id:ayae77:20190619115144j:plain

メダカの卵

藻だらけになったバケツにお腹を大きくしたメダカを発見した。

たまに餌をやっていたのだが、最近は子供が大量に餌をやっていた。

ちょっと食べ過ぎを心配していたところメダカの卵を発見。

たくさん食べたから産んでくれたのだろうか。

 

最近はメダカの卵を見守る日々が楽しい。

たくさんの命が生きている。

しっかり調べて、うまく孵ってくれるように飼育しよう。

今日もそっとバケツを覗く。

 

産み付けた藻の上にどんと一匹腹のでかい親のメダカが居座っている。

卵を守っているのだろうか。

それとも日光浴だろうか。

生まれる前に水槽を用意して水をならしておこう。

 

新しい命にわくわくしている。

 

メガネの歴史

私のメガネの付き合いは高校生から始まる。

高校生の時についに黒板が見えなくなったのだ。

なんとしても真面目メガネ女子は嫌だと頑張ってみたものの見えづらい。

どうしようもなくなりメガネを買ってもらうことになった。

おしゃれなフレームを横目に親が選んでくれた銀縁の地味なメガネ。。。

勉強の時だけだからと仕方なくそれにした。

今思えば罰当たりなもんである。

高価な買い物である。

黒板は見えるようになったものの、メガネ嫌いは加速してしまった。

座席を前にしてもらってでも、メガネなしを貫いたりしていた。

 

ついに大学生ではそのメガネを使わなくなった。

ドキドキしながら、大きな商店街でコンタクトレンズを作った。

1ヶ月使えるソフトコンタクトレンズ

メガネをかけることにコンプレックスができていたのか、毎日コンタクトレンズだけを使用していた。

しかし、寝る前や休みの日はめんどくさい時もある。

そして、おしゃれなメガネが欲しくなった。

でも、当時は5000円フレームのメガネなどなかった。

数万円を貯めないとメガネ購入できない。

 

バイトを必死で頑張った。

そして、その当時お付き合いしていた人がメガネをプレゼントしてくれると言ってくれた。

なんとすごいタイミング。

ありがたく少しだけ出していただいて赤いフレームの細身のメガネを購入した。

きっと今ではウェリントンというフレームになるのだろうか。

赤いフレームのメガネは使いやすかった。

今までイメージしていたメガネイコール真面目から脱却し、おしゃれメガネだった。

学生時代はよくそのメガネを使った。

飛行機で旅をするときにも持っていった。

そのメガネは使いすぎてフレームが白くなるまで使ったのを覚えている。

その後、働きだしてメガネをしていると汚れる仕事でもあったため使っていなかった。

使うのは休みの日と旅行先に持っていくのみであった。

 

ある旅先、それも飛行機の中でメガネのフレームの小さなネジが飛んで大騒動になった。

メガネがついに壊れたのである。

メガネを外すとメガネのネジは見えないし、コンタクトをする間もない。

必死に手探りでネジを見つけ、小さな小さなそのネジを手でちまちまと回したのを覚えている。

あのガクガクしたフレームの感触には参ってしまった。

そこでメガネを新調しようと決心した。

 

だいぶ年月が過ぎたのか、安くてお手頃なフレームも大量に売られていた。

素敵なブランドのフレームもたくさん。

メガネはおしゃれという雑誌の特集などあり、メガネを買うことに気持ちを踊らせてメガネ屋にいった。

いつのまにかメガネを楽しむようになってきていた。

しかし、なかなかお気に入りのフレームがみつからない。

細身のフレームは前と同じ気がしたし、黒縁はあまりに主張が強い気がした。

こんなところで優柔不断がでてしまい後日出直すことにした。

ネットで調べたりしたものの、結局自分の好きなのを買うのがベストだという思いに行き着き再度買いに行った。

 

そこで目に止まったのがオゾックの落ち着いた茶色のウェリントンタイプ。

これに決定した。

すこしフレームが大きい感じがしたがとりあえず欲しかった。

赤いフレームのメガネはめっきり出番が少なくなり、こちらをよく使った。

入院した時も旅先の休みの日のショッピングにも。

よく使うとくたびれるのも早かった。

そして、メガネ欲は増してきて、次は軽いメガネが欲しくなった。

つけていない程軽くてさわやかなフレーム。

 そこで見つけたのがゼログラ。

このフレームは無重力とか、つけていない感覚とのこと。

迷わず購入。

つけ心地は抜群!!しかし、フレームが折りたためない。

よって、ケースにいれるのも、ちょっと手間取る。

ただ自分が物ぐさなだけかもしれない。

軽くて快適なゼログラは出番が少なくなった。

 

前のオゾックのメガネがヘビーローテーションになり、痛み始めた。

すると新しいメガネが欲しくなった。

次はボストンタイプに挑戦したくなったのだ。

オゾックは少しフレームが大きかったのも気になり、次は小さめのボストンタイプを選んだ。小さめというのは子供用に挑戦した。

今はこのボストンタイプを使い始めている。

 子供用はフレームが軽くて柔らかい。

丈夫なのに柔らかいので負担が少ないように思う。

 

これからもメガネライフを楽しみたい。