小さな時、自分の家は貧乏だった。
レベルの差はあれど貧乏だと感じた。
一番感じたのはトイレットペーパー。
トイレットペーパーがロールではなかったのだ。
ザラッとした四角いペーパー。
このロールじゃないのが安かったのだと思う。
トイレットペーパーは使っていい枚数を決められていた。
もちろん家族のルールに従っていた。
トイレットペーパーがあるだけいいのだ。
しかし、友達が遊びにくると、やはり悲しい気持ちになった。
今どきロールじゃないトイレットペーパーなんて…
友達はちょっと変わった紙だねなんていっていた。
親に問うてみると、この紙は環境にいいというのだ。
なるほど。
まだ環境やエコについてあまり聞いたことがない時代に上記の返答。
そして、貧乏ではなく、節約してるのだと。
限られた資源を無駄にしないのだと。
でっかい考えである。
貧乏ではなく地球規模の環境対策。
紙も限られた資源からできている。
無限にあるわけではない。
真っ白なものは漂白剤をもりもり使っている。
エコでないと。
納得したような、そうでないような。
自分の見栄っ張りは小さくなった。
そうこうするうちに、近くの店からは四角いペーパーが消えた。
うれしかった。
使用者が減ったのか、作成コストが高いのかは不明だが、ないものは買えない。
どこの店でも見かけなくなった。
トイレットロールをクルクルクルクル使うとき、ふとあの時を思い出す。
恥ずかしい気持ち。
貧乏の気持ち。
環境対策は日々の生活習慣なのだ。
水は節約できて、紙を節約できないは変である。
貧乏と思うより節約と思う。
今でもちょっと気持ちが楽になる。