この話はだいぶ昔のことです。
ショッキングなことが続き歩くことができなくなった。
家を出て鍵を閉めようとすると目の前がくらくらしてすごく時間がかかる。
深呼吸しないと息ができない感じ。
宙を浮いている感じで足が震える。
それでもなんとか仕事にいく。
人が足りない。
やることが山積している。
今思えばよく乗り越えたと思う。
毎日、なんとか仕事をこなしている。
帰る頃には、へとへとでぼーっとしている。
こんな日々が続いた。
もう仕事できない。家から出られない。そう感じ始めたとき、ラジオに出会った。
受験勉強のときに聞いていたラジオ。
勉強をそっちのけで、かぶりついて聞いていたラジオ。
私は毎朝ラジオからの声を聞くことで救われた。
30分程の通勤時間にラジオを聞いた。
低音ボイスでニュースを伝えてくれる。
たまに新聞をめくる音。
そして、ニュースに対する意見をはっきり述べる声。
意見をきくとすっきりする。
こんな意見があるのね、なんて考えたりもする。
ラジオの時間にいやされた。
ラジオで元気を回復した。
そして、仕事場につくとあっという間に、頭が切り替わり時間が過ぎてゆく。
ショッキングなことは消えないけれど、時の流れとともに、少し心の端っこにいっているようだ。
また次の日もラジオに耳を傾ける。
ラジオのおかげで仕事にすんなり向かえているのだ。
今日もラジオのニュースだ。
信じられないし、ありえないですね。
なんてことをパーソナリティーさんが言っている。
しっかり意見を述べられている。
私はほっとする。
音楽で一呼吸つくと、また別のニュースだ。
こういう日々が続き、少しずつ元気がでた。
ラジオありがとう。
そんなこんなで、少し元気を回復したから、少しラジオを休んでCDを聞いたりしていた。
そして、ふとラジオに戻った。
すると、その番組はニュースの時間が極端に減っている。
放送時間は伸びているが、ニュースの時間は半分以下だ。
ほとんどが音楽になっている。
もう新聞のカサカサという音も聞けなくなった。
パーソナリティーさんの声を聞くのは1分ほどに短くなった。
番組の都合かもしれない。
しかし、さみしくなった。
元気をもらったラジオからの声。
ここにも働き方改革?
ほとんどパーソナリティーさんは話さない。
人によっては音楽の方がいいのかもしれない。
新しい音楽に出会うチャンスかもしれない。
しかし、私は意見のあるニュースが好きだった。
また、好きな番組を探そう。
ラジオありがとう。
また、戻ってくるよ。