いちごのつぶやき

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四季なりイチゴ収穫!

ぼちぼち楽しんでいる家庭菜園〜

昨年は以下のものを栽培していました。

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そして、今年もネギと四季なりイチゴは継続!!!

ネギはネギ坊主ができてきました。

これって種ですね?

調べてみると花が集まっているとか。

なるどほ、白菜やキャベツは花が咲いてくると食べられないし、まずくなります。

だからネギはどうかと思い、こちらも調べてみるとネギ坊主は花が咲くまでなら食べられるとのことです。

なんでも調べてみるものですね。

しかし、我が家のネギ坊主はもうすでに開花していました。

だから、花を楽しみつつ終わりになりそうです。

でも、栽培は継続していきます。

ネギってやっぱり便利、使うときに使う分だけ収穫すればいいですね!!

あの新鮮さはやみつきになるのです。

 

さて、以前から栽培していた四季なりイチゴ、春になって元気になってきました。

あっ、もう春と言うより夏のような暑さですね。

冬はロゼット状で地面に這うように葉を寝かせていたイチゴ。

でも、今は空に向かって葉を伸ばしています。

これだけで、元気をたくさんもらっていました。

そして、とても嬉しかったのがイチゴの花を見つけた時!

ついに来ました!開花!

我が家の桃色のイチゴの花が咲いた!

そして、暖かさもあり一気に実ができました。

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ジャジャジャジャーン〜

なんと大粒2、小粒1を収穫!

しかし、誰も食べようとしない。

そうそう、酸っぱい可能性もありますもんね。

すべて私がいただくことにしました。

大粒で実がしっかりしていて、酸味が強め。

なかなか店で買うイチゴのような味とはいきませんが美味しかったです。

久々に新鮮なイチゴをいただきました。

四季なりイチゴなので、あと数回年内に収穫できることを期待しています。

 

他にも今夏はミニトマト(黄色)、シシトウ、タイム、バジル、シソ、ミントを育てています。

前からあるオリーブもなんとか元気。

もう少し場所があれば大きな鉢に植え替えたいのですが、これ以上大きくなると、洗濯物が干せないのです。

これからさらに暑い日々がやってきそうですが、太陽をいっぱい浴びて元気に育ってほしいものです。

 

こんな記事も書いてます

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アイロム株売却 頭と尻尾はくれてやれ

コロナウイルスの国内の発生状況について(2020年2月4日12:00発表)

確認されている患者は16名。
・居住地が中国9名
・退院が1名、入院中が15名

新型コロナウイルス感染症は、現在、流行が認められている状況ではない。

国民の皆様におかれては、風邪や季節性インフルエンザ対策と同様にお一人お一人の咳

エチケットや手洗いなどの実施がとても重要。
感染症対策に努めていただく。

上記が厚生労働省のHPに掲載されている。

その時の自分の感想は、まだ、流行はしていないということ。

だから、今は普段通りで。

よかったと単純にいかないし、安心はできないけども、風邪やインフルエンザ対策をしながら過ごそうと思っていた。

 

しかし、連日ニュースではコロナウイルスがトップ。

豪華客船から出られないとか。

マスクはどこも底をつきている。

おまけに消毒液も殺菌剤もほぼない。

これは大変なのか?

なぜか不安に陥る。

そっと、ニュースを消す。

そして、楽しい記事を探しにネットへ!

仕方ない、なる時はなる。

ないものはない。

ある程度の状況がわかれば、後はなった時にどう動くか。

もう心配しすぎるのはやめよう。

不必要な買い占めはやめよう。

そして軒並み下がる株に目をそむけずってことで、株価をチェックしている。

 

マネースクエア

ほへ????

ここ半年ほど低迷しているアイロムグループ。

東証1部 2372

このアイロムがびっくりするほど高騰!(2020年2月3日)

出来高も一桁違う動き。

なにがあった???

この日は、アメリカダウの動きを受けて、軒並み株価が下がる中の高騰。

珍しい、なぜだ?

ネットで検索してみると、コロナウイルスにつながる。

なんと、タイの保健省が以下を発表。

「インフルエンザとHIVエイズウイルス)の混合薬がコロナウイルスの症状を改善する。」

感染の拡大を食い止めることができるかもしれないとのこと。

そして、この薬に関連しているのがアイロムグループと。

ほぉー、こんなつながりで一日で100円以上、いや、もっと値上がり。

その日は、いつものように売られることもなく、あっという間に1500円中程まで値上がり。

いつものアイロムの動きではなかった。

コロナウイルス関連の銘柄が熱いとうわさでは聞いていたが、実感したのは初めて。

これは、よい方へ動いたのでよかった。

しかし、反対だったらと思うと。。。

翌日、1300円代まで落下、ほぼ全戻し。

日足を見ると、すごい動き。

こんな動きするなら触りにくい。

そして、2020年2月6日決算を控えている。

ということは?

不明です。

このアップダウンの後の動きは不明。

しかし、熱い銘柄、資金が集まる銘柄は怖くてさわれないを実感。

前日比5%はきつい。

でも、これが株なのかもしれないと思う。

まぁ、現物なので気長に気長に。

ここまでで2月上旬。

ずっと保有したまま様子見。

とりあえずメモ。

アイロムグループ(2月5日14:30時点)

市況情報:出来高227,100、時価総額17,265百万、PER16.93、PBR2.59

配当40、年高1,935、年安1323

+55円、前日比3.99%

 

ずっと保有したまま3月が過ぎ去った。

そして4月も過ぎ去った。

その頃、コロナウイルスの流れは大きく変わる。

3月下旬から感染が拡大し、4月には学校が休校に。

どこもかしこも閉まっている。自粛している。

マスクは売りだしたもののびっくりするぐらい高額。

町ゆく人は手作りのマスクをしている。

そして生活最低限の移動。

買い物は手を消毒してから開始。

こんな日々が続いた。

 

マネースクエア

5月のアイロム株の値動き。

やはりコロナウイルスワクチンの関連でアイロムが株価を上げてきた。

なんとすごい流れにのっている様子。

ストップ高2連チャン。

これで一気に手放す気が湧いてきた。

そう、この含み益なら手放す。

頭と尻尾はくれてやれ!!!!

欲を出しすぎるのはだめ。

2年ほど前から保有していたアイロム株を売却。

iPS細胞に期待して、ノーベル賞のたびに思い出すアイロム

そしてiPS細胞を応援したくて、一歩でも健康に過ごせることを願って購入。

しかし、購入してからは下がりっぱなし。

ほんの少し買値を超えるものの利益がでない。

天井で買ってしまった。。。

あとの祭り。 

正直持っているのに疲れた。疲れすぎていた。

ずっとひどい含み損だった。 

もちろんナンピンはしていたが、含み損が減るわけではない。

持ち値が下がるだけ。

激しい値動き、凪、激しい値動きからの、やはり下がる、そして、長い凪

だから、疲れる。

だから、ある程度利益が乗ったら手放すと決めていた。

 

ってことで、5月GW開けに微益ですが撤退!私には大金!

さぁ、アイロムのiPS細胞を応援しながら次の買いどきを待ちます!

仕事しつつ、株価も気にしておきましょう〜

 

 P.S.その後のアイロムは2020年6月1日にまたまたストップ高!!!

なんなのぉぉぉぉ。

私の頭と尻尾はでかすぎた感満載!

これが株なのだ。

これが私の取引なのだ。

次こそは〜もっと勉強して望みます。

この経験が生かされるはずですね!

 

最後にメモ

市況情報:出来高3,710,000

時価総額335.92億

年高2788

前日比21.85%、+500

マネースクエア マネースクエア

自分の中で勝手に記憶を変えていたと気づいた

子供の頃、夏の大イベントは名古屋と愛媛の田舎に帰ることだった。

6人家族で大移動する。これを隔年で帰る。

今年の夏は父の実家。

来年の夏は母の実家と順番に帰省する。

田舎に行くと自然がいっぱいでご飯はもりもり振る舞ってくれる。

夏休みの宿題のことも忘れて1週間から10日間ほどは疲れ果てるまで遊ぶ。

ザリガニを獲ったり、カブトムシを探したり。

遊園地に連れて行ってもらったり、楽しいことのてんこ盛り。


しかし、母の実家に帰ると母と祖母の折り合いが悪いのを感じる。

話が弾んでいないし、どちらも遠慮している模様。

母方の祖父、すなわち母の父は早くに亡くなっているから間に入ってくれるのは母の兄弟。

しかし、母の兄弟の多くは愛媛にいるので、団結力が強い。

母はやはり外の人の感じなのだ。

いや、それ以前の問題で、兄弟間にも性格の不一致はあるのだと今ならわかる。

そんなことを感じていても、子供のころは田舎が楽しくて楽しくて無駄に走り回って、家の下にある水車を見に行き、その後、長い長い坂を登って家に戻ったりを繰り返していた。

そして、牛のえさやりを延々と眺めていたり、異空間、非日常は何年経っても記憶から消えない。


私の祖母 花子さんとの思い出はほとんどない。

アルバムを見ると確かに祖母、母、私と写っているから、あの日の田舎に帰省した時に会っている。

でも、いとこや叔母、叔父のことは覚えているのに、母方の祖母のことが思い出せない。

やさしかったのだろうか?

母との関係は本当のところどうだったのだろう。

母から聞く祖母のイメージが強すぎて、自分の想像した祖母しか思いだせないのだ。

あんなに隔年で会っていたはずなのに花子おばあちゃん???

私を覚えていますか?


この感覚は私だけなのだろうか。それとも私の兄弟たちも何か感じている?

話のついでに、姉にこの話をしてみた。

花子おばあちゃんとの記憶ってどう?

姉「私は数回会ってるから、いろいろ思い出あるよ!」と言う。

姉「あなたは花子おばあちゃんと5歳の時に1度しか会ってないから思い出が少ないのは仕方ないよ。」と返ってきた。

あら?

私の記憶では隔年で祖母、花子さんにに会っていたけど、違うの?

あの橋がなくて飛行機でいったときのこと。飛行機の模型をもらったり、JALのハンカチをもらった思い出。

そして、橋ができれば電車を乗り継ぎ、必死に橋を渡った記憶、確かに1回ではなかった。

あの思い出はたった1回の出来事でしたか。

確かに家族写真は1年分しかない。


私の記憶はどこで、どう捻れたのだろう。

深呼吸して考えてみる。

私は母の実家にも、父の実家と同様、隔年で帰りたかったのではないだろうか。

母と祖母が仲良くして欲しかったのではないだろうか。

そして、自分が祖母と仲良くなりたかったのかもしれない。

今ならそういう答えが導ける。

すなわち、毎年会いに行ける関係を望んで記憶は希望に繋がり変更された。

勝手に記憶をかえてしまったのだろう。


今思い出しても母の実家の鮮明な記憶があるのだ。

牛が至るところにいて、坂の上に家がある。

牛のお世話は叔父。

坂の登り口には水車があって、昔は粉を挽いていたとか。

家までの坂の途中に畑があって野菜や花を栽培している。

畑から野菜を採ってきてくれるのは叔母。

そして、家の周りには大きな漬物樽。

この樽の中にある漬物を冬に、少しずついただくために、夏や秋に採れた野菜を漬物につけておく。

漬物の石が重くて重くて、また、外にある漬物だから冷たくて、取り出すのが大変。

家の中には土間があって、かなり高いところに居間がある。

だから、通気性があって快適な家と自慢するのは母。

家の周りには花やサボテンが並んでいる。これを集めているのは祖母。

花が好きな祖母だから、名前が花子。

こんなに鮮明な記憶は会いに行ったからできたものプラス母からの話で出来上がっているのだろう。

イメージを膨らませすぎたのかもしれない。


子供のころは母と祖母は不思議な親子関係だと思っていた。

でも、今なら複雑な親子関係もあるだろうと思う。

親子の数だけ、親子関係の種類、パターンがある。

できれば良好な関係がいいと思うが、それは私の理想。

母と祖母のことになるとイメージを膨らませては、どうにもならない現実がある。

きっとこれが答えだと思っている。

理想と現実は違って当たり前。

もう祖母は他界していない。

母も祖母のことを話さなくなった。

だから、この記憶は私だけのものとなりつつある。

これからさらに記憶が変化していくのだろうか。

あの田舎の匂い、風景はまだ私の中に鮮明にとどまっている。

ありがとうNICU、MFICU

妊娠7ヶ月くらいのときだろうか、妊娠高血圧症候群になった。

今まで血圧は高くなったことがなかった。血圧に関しては健康であった。

しかし、妊娠時の血圧は別物らしい。

それでなくても体が重くて、だるくて大変な妊婦。

自分の体のことだし、この高血圧とやらにも向きあわなければなるまい。

ある日の検診時。

何度血圧を測っても高い。もう一度測って下さいと言われて測ること数回。数値は140を超えて変わらない。

これはやばいといった感じで看護師さんが怒っている。焦っている。

私はことの重大さにまだ気づいていなくて、このぐらいの数値ならギリギリセーフでは?と、のんきに構えていた。

最後に、もう一度測ってもやはり高い。

次回の検診でも高いと医師より話がありますと言われる。

ここから数日は自分の体の重さを抱えながら、急に血圧という病気に向きあい、インターネットで情報を貪りながら過ごした。

妊婦の高血圧は大変な病気のようだ。妊娠を途中で諦めなければならないこともある怖い病気。


そして、迎えた次回の検診。

私の血圧は見事にぶっちぎって高くなった。

そして尿タンパクもプラス。

気をつけていた塩分控えめの食事とか適度な運動は、血圧を下げることに効いていないようであった。

そして医者より、重大な話が、この病院では産めませんということ。

NICUやMFICUという集中治療室がある別の大病院へ行って下さいということ。

大病院のほうが設備や体制が整っている。

今からこの体で病院変更ですか!?大変なこと、やるべきことが重なり、へとへとになり、さらに血圧が上がっていく。

でも、ここでめげるわけにはいかなかった。


家に落ち着いて帰り、病院の変更のための手続きや準備をするしかなかった。

歩いて10分の医院から車で30分の大病院へ。電車なら1時間くらいかかる場所。

そして、大病院の1回目の検診時に危険があると怖いので入院してくださいと告げられた。

この大病院であと数カ月、検診に通いながら出産へと思っていたが、予想を超えていきなり入院。

びっくり。想像は想像でしかない。これが現実。

もう、悩んでいる暇はない、スリッパに洗面器、いろいろ買い出して、スマホに充電器を持って即入院となった。


入院するとなぜかホッとした。

もう何もしなくていいのだ。あれこれしてはいけないのだ。

夏の暑さに晒されない病院。

何故かいろいろなことから開放されていく。

そして、何かあったらここで助けてもらえるのだ。

入院生活は減塩食をいただきながら、ひたすら安静。

何もしない時間が続く。

いろいろ悩んでも仕方ない、今できることをやるしかない。

入院中に気持ちも体も元気を少し取り戻したように思う。


しかし、血圧は下がることはなく、薬や点滴でなんとか落ち着いているといった感じだった。

入院中は頭が痛くなったり、点滴をつないだままの不自由な日々。

出産への不安も大きかった。

その時に支えられたのが、看護師、助産師、医師、薬剤師、医療関係者の皆さんであった。

看護師さんは毎朝血圧を測ってくれ、血圧の高さによって薬を運んでくださった。

きつい薬なのか常備せずに、必ず測定してから数値を確かめ、薬を医師に確認してから持ってきてくれた。

そして、しっかり飲むのを見届けてから次の仕事に取り掛かるという流れであった。


一人一人違う妊婦の症状。

前置胎盤胎盤剥離、高血圧症候群、三つ子出産、その他もあったように思う。

一人一人にあった処置を間違わずにやっていくだけでも大変。

そして、どんなに手を尽くしても急変することもある。

私の場合は血圧が安定するように点滴を行った。

点滴に常時つながれていることから、お風呂が大変であった。

お風呂のたびに、点滴の針を残して外し、針が水に濡れないようにビニールをかける。

針がついたままのシャワーってすごい経験。

そして風呂から上がると点滴につなぐということを看護師さんがやってくれた。

針の交換や点滴液の交換、追加も頻繁にみてくださった看護師さん。

私の場合は1ヶ月の入院であったが4ヶ月以上入院している方もおられた。

また、お風呂やシャワーができない場合は体を拭いてくれた。

これも看護師さん。

服を整え、タオルを整え、体を石鹸でぬ拭い、ぬるま湯で流し、きれいにしていただいた。

そんなこんなで入院すること3週間。


なんとか37週を超えた時に、医師より

もう生みましょう!と言われた。

予定日より3週間ほど早いけど、大きくなりたい赤ちゃんを出して上げましょうとのこと。

想像とか予定通りにはいかないは経験済み。

だから、出産も人それぞれでいいのだ。

あれよあれよと進行していった。

その後、なんとか出産した。


そして、出産後が何よりハードだった。

自分のことだけ気にしていた日々から一転、今度は赤ちゃんのことがあるではないか。

眠い、きつい、フラフラする。

普通に歩けない、あちこち痛い。

一人なら完全に折れていた。

そこで助けられたのがNICU

ここは赤ちゃんの集中治療室。

厳戒態勢で育児のスペシャリストがいるところ。

24時間体制、すごい機械がたくさんあり、空気がきれいで、限られた人しか入れない。

すべての看護師、医師、関係者が団結して医師や親となる感じ。

頭があがらない。

ここに子供を預けたまま、自分だけ先に退院することとなった。

血圧は高いまま、薬を飲みながら、安静にしながら家にいることになった。

というのは表向き。

車で30分、毎日病院に母乳を届ける。

真夏の炎天下に、保冷バックに保冷剤を入れて、母乳を専用の袋に入れて届ける。

少しでも溶けた母乳はボツ。

もう、自分の血圧とか言ってられない感じ。

家で血圧を毎日測定し、自分の検診を受けながら病院へ。もちろん血圧は高めといより、高い。

体もヤバそう。

でも、NICUにいるおかげで、子供は少しずつ大きくなる。

だから、毎日なんとか届けた。

いや、眠すぎてまる一日寝ていて、NICUから電話をもらったことも。

スミマセン。スミマセン、今から母乳届けます。

乳母のシステムも必要だよなと納得。

皆で協力しないと私には無理だった。


だから、NICUありがとう。

そして、自分が入院したMFICUありがとう。

今があるのはこの場所のおかげ。

人は生まれたときから、人に支えられて生きている。

退院後も病院通いは続いた。

血圧の測定、血液の検査、尿検査。

他の病気がないか検査しつつ、血圧が下がるように薬をもらう。

しかし、子育てしながら、通院するのはなかなかハードで一向に血圧は下がらなかった。

通院したり、お風呂にはいると血圧がきつく上がる。

薬のせいか咳がひどく出るし、抜け毛もひどい。心臓もどきどきする気がする。

何度も何度も通院し、自分の血圧と向き合った。

その間も生活改善を試みた。

お酒はもちろん飲まず。

塩分を控えた献立にする。野菜を食べる。脂分を控える。

しかしすぐには血圧は下がらなかった。

いつもはすんなりできていた家事が倍くらいの時間、いやもっと何倍もの時間がかかる。

血圧のためか産後のためかわからないが、疲労感も強かった。

血圧が高くなっていそうだと感じて測るとやはり高い。

毎日薬を飲みながら様子をみた。


投薬をやめるわけにいかず、血圧がさがるのを待った。

毎日薬を飲むことに慣れていない私は疲弊していた。



出産後8ヶ月以上たったとき、ようやく血圧が下がり始めた。

体も少し動くようになった。

運動することも、快適になった。

産後1ヶ月のケアというのは私の場合8ヶ月ほど必要だったようだ。

ようやく血圧をはかることが苦にならなくなった。

よかったのはよかったが、よかったとは簡単には思わないほどの経験をした。


子育てや体調が辛くなりそうな時はMFICUとNICUを思い出して暮らしている。

今日も助けられた日々を忘れずに

皆様に感謝を忘れずに。

在宅ワーク 今の状況に最大限の努力を!

お題「#おうち時間

おうち時間なれていません。
きっと過去のやり方にとらわれているからなのでしょうね。
これを機会に過去にとらわれない、新しいことはやってみて良し悪しを判断する機会にしたいのです。

コロナウイルスの影響で在宅ワークが始まって数週間。
なかなか仕事にならない在宅。
洗濯ができましたって、お知らせ音がなってるけど…
洗面台が汚れてますが?
衣替えが途中です。賞味期限の切れた食材でストック場所がありません。
掃除機の前に片付けないと、掃除機は通れません。
家にいると仕事以外のやることに時間が割かれていく。

でも今日は家で仕事の日。
家で拘束された不思議な時間。
ぼーっとしてないで仕事しよう〜
拘束時間がとても長く感じるのに、仕事できていない。
職種にもよるけど、家でやることには限度もある。
でも、今はこの状況に最大限の努力を!!!
まずは仕事のことを考える!!!

そろそろ、買い物にでかけます。
お昼休みだからいいということにする。
不要不急、最低人数で最速で買い出しなのだ。


家でやれる仕事が限られているから、在宅ワークが増えれば増えるほど。。。現場に積もる仕事。
在宅ワークから実際の仕事へ向かう。これが週に2〜3回。
職場に到着するやいなや仕事山積。
そらそうだ、普段の半分ほどしか出社していないから溜まるよね仕事。
週5〜6日出社していた時とは違い、休み明けの仕事量が半端なく多い。
いつも頑張っていたんだね、自分。
だから、あの日々の自分を褒めておこう〜。

何より、出社しているスタッフが少ないのでやることも倍増。
引き継ぎもやりづらい。
ここでインターネット?テレワークを使って引き継ぎしたい。
メールなら証拠も残るし最高では???
しかし、口頭よりは遅くなる、不確かになる引き継ぎ。もっとネット環境をよくしたい!
顔を見て伝えてないので不安。これも慣れていきたい。
そう、過去のやり方にとらわれず、便利に慣れる。便利を吸収したい。
人は困った時に変われるはず。

現場での仕事は必要最低限のものを優先。
こうやって、できていない現場の仕事は溜まる。溜まる、溜まる。
でも、今は前向きにコロナウイルスと向き合い、仕事に向き合う。
そう、皆で乗り越える、皆で職場を支える、そして、公私ともに生き抜く。

スタッフが事務所に少ないので、快適!ということにする。
集中して仕事ができるはず、ということにする。
換気して、消毒して、仕事を猛烈に進める。
しんどいけど、なんとか乗り切りましょう。
これも経験だと後で振り返れますように。

在宅ワークは出社しないので、服装がラフであったりする。
そして、在宅ワークの開始時間に朝ごはんを食べていたりと不思議な感覚。
コーヒーを飲みながら仕事。
こんな感じだけど、今日は休みじゃない!在宅ワークの日なのだ。
だから自分を律してやるしかない。


月曜日:出社
火曜日:在宅
水曜日:休み
木曜日:休み
金曜日:在宅
土曜日:出社
日曜日:出社

オフの日が来て、在宅ワークがあると出社日まで大きくブランクができたりして、気持ちがリセットされている。
だからいつも大型連休明けの仕事開始のような気持ちになっている。
でも、猛烈に仕事はある。猛ダッシュするのだ。
この在宅ワークに慣れれば、また違った働き方ができる気がする。
家でできる仕事は家でやり、出社日は出社時にやるべきことを優先して、仕事内容や仕事密度が高まればよし!
ネット環境やSNSも駆使して快適になるよう知識を増やしつつ、資格の勉強もする。
コロナウイルスで生活は変わっていくのか。
まずは、経済を上向きに。
皆の生活に活力を。
難しい話だけど、模索しながら次なる道を探している。

マネースクエア

休職中の振り返りアドセンス~アフェリエイトなど

はじめの挑戦グーグルアドセンス!!!

グーグルアドセンスが熱いらしいと聞いて挑戦することにした。

グーグルのアカウントがあればサクッとできるらしい。←考えがあまかった。

実際には半日かけてやった次第です。

まずはグーグルアドセンスについて書かれている方のブログでノウハウを確認。



ブログを始めた頃は、アドセンスはまだまだ先だと思っていた。

しかし、アドセンスの審査に4回落ちた方のブログがきっかけになった。

落ちても落ちても挑戦される気持ちに勇気をもらったのだ。


アドセンスの申込みをしたのはこのブログ「いちごのつぶやき」

グーグルアドセンスから以下のようなメールがきました。

「アカウントの承認を受けるには、問題を解消していただく必要がございます。」とのこと。

はい?これは審査に落ちたということでいいのでしょうか?

はてなブログの無料版だからだめなの?

オンラインコンテンツからの収益はおあずけになりました。

Proに申し込むのには、まだブログ歴が浅いしと考えながら過ごしていました。


私のグーグルアドセンス合格までの流れ 

皆様のブログでアドセンス承認のためには、まずは記事を増産するといいとのことを知りました。

ブログを増産後、申請すると承認されやすいとのことで、50記事を書いた後に申請。

申請後、グーグルよりアドセンスのお申込み状況についてのメールがきました。

内容は残念ながら現時点ではAdsenseのご利用が承認されませんでしたとのものでした。

そして、お申込み内容を更新し再提出することも可能と書いてあったので、何度か同じ設定をして再提出しました。

自分の中で承認されなかった理由として、ひかかっていたのは以下

「独自に作成したコンテンツ:ウェブサイトやブログなど、独自に作成したコンテンツをお客様が所有しており、

それがAdSenseプログラムポリシーに準拠していれば問題ありません。」という一文。

この「お客様が所有しており」というところが、ひかかって不合格したと思っていました。

独自ドメインを取得していないので、所有していないと思っていたのです。

しかし、再度申請をして1週間程過ぎたころ、おめでとうのメールがきました。

だから、はてなブログのプロでなくても合格可能!!!!

合格理由はわからないです。

少し時間がかかっただけなのか、何度か申請したので、それがよかったのか不明です。

 

「お客様のサイトでAdSense広告を配信する準備が整いました。」の件名できていました。

そして内容はAdSense広告を表示して収益化を始める準備ができました。

その下にご利用開始のボタンがありました。

クリックするとアドセンスのHPに飛んで広告の設定が可能です。

「自動広告を設定」を選択すると、コードが出てくるので

コードをコピーする。

次に、自分のはてなブログを立ち上げて

デザイン カスタマイズ ヘッダと進んでコードを貼り付けました。

最後に変更を保存する。

そして、自分のブログを確認すると、タイトルの下に今までなかった広告が出てるので良しとします。

こんな感じで分からないままグーグルアドセンスのスタートです。



話変わりまして、次は楽天アフェリエイト!!!

グーグルのアドセンスの承認が受けられなかった時、悔しくて、諦めたくなくて、アフェリエイトを先にやってみようと考えました。

結果、グーグルアドセンスアフェリエイトも合格したのでブログの時間が楽しくなりそうです。

以前から、楽天さんではすごくお世話になっているのです。

以下が楽天と私の関係。

楽天カード楽天スマホ楽天銀行楽天証券楽天市場、 楽天エディ

私の場合、旅行するほどはポイントが貯まりませんが、スマホの料金はたまったポイントで払っています。

ポイントが貯まってくると楽天市場で使ったりすることもできるので嬉しいですね。

楽天銀行楽天証券は合わせて開設しました。 

楽天証券で株取引をする時、楽天銀行を開設していると、連携しているので、振込の手間が省けます。

楽天銀行に入金さえしておけば、楽天証券に入金することなく株取引ができます。

これは嬉しいシステムですね。

そして、株取引をすると少しですがポイントも貰えるので、またまたポイントが貯まるのです!
 

話がそれましたが、楽天アフェリエイトの挑戦スタート。

以下はやり方。

まずは楽天Developersに申し込み。

ネットでディベロッパーのアプリを検索。

右上にあるアプリID発行へ。

アプリ名を考えて記入。

アプリ名は適当に決めました。

アプリURLの欄には自分のブログページを入力あるいはコピペ。

 認証で見えている数字を入力して終了。

 これでIDが発行されます。

 このページのIDをコピペしておいて、はてなブログのアカウント設定のページで楽天アフェリエイトが認証されるようにします。

 

はてなブログの方のやり方は以下。

アカウント設定→基本設定→AmazonアソシエイトID→変更する

ここまでいくとファイルが開いてグーグル、アマゾン、楽天と並んでいるので楽天のところに、先程ディベロッパーで習得したIDをコピペして

変更する 

これでめでたし。だと思います。

ブログのアクセス数がまだ全然伸びていないので、アフェリエイトの報告ができるほどではありませんが、いつかアフェリエイトのいい結果をまとめたい!

新しいことへの挑戦はわくわくがとまらない。

まだまだ挑戦は続く

でも、今の私のおすすめは以下です〜。

マネースクエア

自分の時間を大切にできて、余裕資金で行う投資。

これについては別に書いてるので以下を是非!

itigo77.hatenablog.com


 

母との思い出まとめてみると

今週のお題「会いたい人」


母へ

いつもありがとう

育ててくれてありがとう

振り返れば自由にさせてくれた

どんな時も守ってくれた

母の日に感謝をのせて贈ります〜


私の母は田舎で生まれた。四国の愛媛県だ。
母の家は坂の上にあった。坂の途中と家の側で牛を飼っていた。
田舎に帰ったとき、牛の匂いがしたのを覚えている。
家の側には畑もあった。
家は大きな家で、大きな漬物の樽があった。家の下には財宝が眠っていると言っていた。

母は子供の頃、家のことをよく手伝っていた。
お使いをしたり、漬物をつけたり、田植えをしたという話は耳にタコができるほど聞いた。
よって野良仕事は今でも嫌いであると言っている。
きっとやりすぎたのだろうと思う。
大型の休みがくるとかならず家族総出で畑や田んぼの作業をするので休みは嫌であったと。
しかし、今では家で花や野菜を育てて愛でている。
きっと昔の収穫して食べる、たくさん咲いた花を飾る、おすそ分けするという気持ちは変わらないのだろう。

母は父母について、私にとっては祖父祖母のことをよく話してくれた。
祖父は母が20歳のときに他界した。その祖父のことをとても尊敬していたようであった。
祖父は田舎を便利に活性化する仕事をしていたとよく聞いた。とても聡明であったとも聞いた。
母が琴の師範をとり、人に教えることができる状態になったとき、ほっとしたように他界したらい。
きっと母思いの祖父だったのだろうと思う。

私の母は次女である。兄弟は6人で女男それぞれ3人、その中で次女として育った。
母が子供の頃の話をする時、次女だから大変だったと言っていた。
長女は何事も慎重に扱われるし、親は初めてなので大切に扱う。
末っ子は甘やかされるし、上を見ているのでちゃっかりしている。
次女である母はたくさんに挟まれるて、放置気味だったと。そして、寂しかったと話していた。
いつも兄弟の思い出話は辛そうに話していたのを覚えている。

母は一人で遊ぶことが多かった。
きっと姉と妹が一緒に遊んでいて、あるいは世話をしていて、母は一歩離れていたのではないかと想像できる。
母は想像遊びが好きで、人形や架空の話を作っては遊んでいた。
話を書いたり、本を読むのが好きなのはそこが原点であろう。
兄弟の位置については、よい悪いそれぞれの言い分があるだろう。
しかし、一つしかポジションを取れないので、なかなか別の位置の気持ちはわかりづらい。
そんな次女の位置の思いに悩んでいたから母は、次女である私を大切にケアしていた。

真ん中である私は放っていてもなんとかなる子だったらしいが、放置することなく世話をしてくれた。
それでも不平等がでてくるのが、世の中。そんな時は大きなルールを決めてくれた。
習い事は運動系1つ、文化系1つをやってよい。(後に、運動文化系こだわらず2つまでOKになった。)
本は本当にほしいものしか買わない、それ以外は図書館で読む。
大学は国公立なら県外も可。私立なら家から通えるところ。
このルールの元4人兄弟である私達を育ててくれた。ルールがあるというだけで、私はなんとなく嬉しかった。
例えば男だけ大学に行かせるとか、女は◯◯など不平等なものはなかった。男女平等、兄弟平等であった。
もちろん選択することは自分の判断でやるので、違った人生になるのは当たり前なのだが。


母の話をしていると自分の話に脱線している。
話を戻すと、母は自分の子供を平等に育てた。
母は本を読むのが好きである。母は話を書くのが好きであった。
新聞の投稿欄に投稿してはよく掲載されていた。新聞を読むのも好きであった。
小柄な体にエネルギーを秘めていた。
悪口は嫌いであった。最悪、悪口は家で言えと言っていた。
健康マニアであった。
料理は苦手と言っていたが、毎日料理を欠かしたことはなかった。
自分のできないことを子供に率先してやらしてくれた。スキー、水泳、サーフィン、自転車、もろもろ。

母はおとなしい性格にみえてまったく違った。
ぺらぺら話さないが、ここぞという時に、するどい意見を的確に言った。
また、将来を考えて自分を磨いていた。
二十歳で琴の師範をとったことも、その現れだと思う。
私が小さいときに、琴や三味線を大事に大事に保管し、弾いていたのを覚えている。
少し琴を教えてもらったことも思い出。

私を含む子供には贅沢はさせないが、勉学は惜しみなくさせた。
やりたいといったことは否定しなかった。
お金もそこに重点をおいて使うと宣言していた。
決して裕福とは言えなかったけれど、使ったお金の額を後々計算してみると莫大にかかっている。
目が飛び出るような支出である。
衣服や食事は質素に、そして勉強や手に職がつくようなことにお金を投入すると断言していた。
しかし、子供はその思いに反して、旅行がしたい、服が欲しい、あれがほしい、これがほしいと暴走していたが。


母は人に流されるのが嫌いであったが、今の最先端を走っていた。
まだコンピューターが浸透していない頃、コンピューターの本を読んでみたり、時代の先を読んでいたように思う。
便利になればなるほど生きづらくなるかもしれないと言っていた。
実際、母の子供の頃より便利にはなっているが、今が生きやすいかどうか
生きづらくなっているように感じる。
生きづらさにもいろいろあるが、便利がすべていいという訳でもない。


そんな母への思いは私の中にしっかり生きている。
ふとした場面で母の言葉を思い出す。
その一つが「努力をしなければ人は駄目になる」という言葉だ。
できるといわれる人は勝手にできるようになっているわけではないと。
よく考えると分かるのだが、自分だけは特別だと思いたい、思いがちである。
そうなりかけたとき、その言葉を思い出すようにしている。
何歳になっても、死ぬまでゴールは来ない。


そしてもう一つ

「人と比べる前に過去の自分と比べろ」ということ。
人は近くの人と比べたがる。
そして、自分の方が優れていると思いたい。
しかし、過去の自分を超えなければならい、この過去の自分は永遠に存在する。
ずっと前向きに生きる。
立ち止まりはしても、前を向かなければならない。
これらの言葉は高校の時、就職の時、仕事をしている時、そして今、何度も何度も思い出したし、思い出す。
きっと今後も思い出すだろう。


私は母のいろいろな思いでできてきている。

そう言うと、こんな子になるはずじゃなかったと言われそうだが、母の影響がとても強い。

これからも母のことを思い出そう。

母へ、ありがとう。

家で過ごすGW

家で過ごすGW
たまに仕事にいく。このたまの仕事を忘れそうになる。そして、いやになる。
いつもは連日仕事のGW。だから忘れるどころか、気が引き締まる。
今年は不思議なGW。静かなGW。
でも、皆必死で戦っている。
いつか終息する、あるいはやっつけるあのウイルスのために戦っている。
この連休を利用して、ウイルスの脅威が減りますように。
働き続けている方々の負担が減りますように。

さて朝ごはんはどうしよう〜?
クラブサンドを作ろうか。
ベーコンにレタス、キュウリ、チーズ。
卵を焼いて挟んでしまおう〜。
いつもは焼くだけの食パンも、今日は素敵なアメリカンクラブサンドに返信!違う変身!
マスタードとマヨネーズがちょっと刺激的な味の元気の出る朝ごはん。
温かいコーヒーを片手にのんびりって書きたいが現実は一気に食べてしまった!
でも、美味しくて最高の朝!
またハムをはさんだり、フレッシュなバジルをはさんで作ってみよう!

バジルは育てていたっけ?
ベランダを確認するとないね…
あるのはローズマリーとタイムとラベンダーとミント。
そして紫蘇と四季なりイチゴ!
クラブサンドには、、、タイムかな?しかし花が咲いていますが、少しなら食べても大丈夫かな?
近いうちにクラブサンドを頬張る朝を再現する〜。

少し丁寧に掃除して、気になっていた衣替え。
さすがにコートやらブーツは片付けて、洗えてなかったセーターなどを洗濯。
ついでに汚れた人形から座布団カバーなどいつもより多めに洗濯。
晴れてくれてありがとう〜。
そして、家に新鮮な空気を取り込む。
いつもより少し丁寧に掃除をすると心もきれいになる。
そして、気持ちも嬉しくなる。
明日も少し丁寧に掃除をしよう。
そして、雨の日は掃除を休む日。

そろそろ、子供が起きてきて騒ぎ出す頃。
お決まりの「どこかへ行こう」がでるはずだけど。
そのどこかへは今年はできない。
みんなの我慢が元気の源につながるように。
前向きに、前向きに。
そうだ、遊び場を作っておこう!
まずは砂場作り。
使っていない園芸用の入れ物に砂を投入。
砂がこぼれることを考えてシートも準備。
そして、プリンの入れ物やらペットボトルの殻を投入。
これで準備よし!

もうひとつおまけに基地作り用のダンボールを準備。
家で過ごすには基地作りがいいはず。
勝手に隠れられたり、おもちゃを持ち込んだり。
楽しそう!
家の中で隠れられる場所、そして、おもちゃを連れ込んでこっそり遊ぶ。
最後はなんでも放り込むただの箱になりそうだけど。

ネットでソロキャンプという言葉を見る。
グランピングとかベランピングとか。
みんな家でキャンプをしている模様。
大きな庭、いいな!!!
自然の中、いいな!!!
工夫してキャンプ風を楽しもう!
まずは寝袋〜
虫干しもかねて、引っ張り出す
いいではないか、これに入って漫画を読む。
なんだか足がポカポカしてきて、お昼寝したり。
そいうえばツェルトもあったけど、久しく使ってないからシワシワ。
まずは広げてシワシワをとるところから。

次はキャンプ料理!って何する?
いつも山の上ではラーメンが多かったけど、家でラーメンなら普通になって特別感がないね。
お家で燻製とかいいなぁ〜。
そういえば、以前にサーモンをスモークしたものをいただいて美味しかった。
そうだ燻製、スモークしよう〜。
確かダンボールとバーベキュー編みの小さいもの2枚と割り箸と食材とチップがあればできる!
チップ、桜の木のチップを探す。
おぉ、チップがないね。
肝心な燻製のためのチップがなぁぁぁぁっぁい。
ダンボールの中でも燃えすぎない、あの棒状の。。。
名前を調べるとスモークウッド
あれがほしい。
家にはやっぱりないみたい。
今日は燻製おあずけ。
でもオンラインで購入しよう。


こんな家でのゴールデンウィークを過ごしています。もうゴールデンウィークも終わりですね。
明日から仕事!
仕事に感謝!